同年11月に同級生の妹である吉岡聖恵がボーカルとして加わり男女3人組となった。
バンド名は水野と山下が小学1年生の時に金魚に餌をあげる「生き物係」であったことに由来している。
(^-^;
代わりに23日振替休日に実家の草切りに出かけました。
どこから手を付ければいいのか、悩むくらいの状況ですが、
陽も短くなり気温も少し下がって来たので、
雑草の勢いも以前ほどでもなく、やっと反撃のチャンス到来です。
波濤のごときカズラの近くで彼岸花が咲いていました。
一瞬ですが、気持ちが和らぐありがたい眺めなので、写真に収めました。
実家からの帰り道、夕焼けがきれいでした。
お疲れ様と言ってくれてるようで、これも写真に収めました。
エネルギー使い切って、ぐったりとしていましたが、
セブンイレブンでコーヒー飲んで、少し元気が戻ったら帰りを急ぎます。
”お疲れ様”って自分に言うのが習慣になりました (^^;)
(R6.9.23撮影)
ただひたすらに子供だった時代の懐かしい夏の風景を描いた絵日記なのである。
実在した鹿児島時代の"姉さん先生"も 広島時代によく"トンボ獲り"で遊んだ夏も
すべてが僕を育ててくれた"夏休み"なのだ(吉田拓郎)
(2024.8.12 撮影)
作者・中沢啓治さんは6歳の時、爆心地からわずか1.2キロ地点で
被爆しました。実はその自伝を「おれは見た」という短編に残しています。
そこで描かれる中沢少年の凄惨な体験は後に「はだしのゲン」として描かれました。
中沢さんは語りました。「ゲンは私そのものなんです」
ゲン=中沢少年が「死ぬまで伝える」と決意した
「地獄なんて生易しいものではない」光景、
そしてあり得ない母親の死とはどれ程の出来事だったのか。
「はだしのゲン」の原型である「おれは見た」をベースに
番組で中沢さんが伝えたメッセージは何だったか。
TBS「筑紫哲也NEWS23」が2004年に放送した
生前の中沢さんの訴えと願いを今一度皆さんと共有したいと思います。
2004年8月6日OA 取材・撮影・構成 TBS報道局解説委員 豊島歩
(TBS NEWS DIG Powered by JNN 2023/02/26に公開)