2016年12月27日火曜日

負の遺産

空き家になっている自宅近くの農地の草刈り代を払ってくれと農地管理組合から言ってきた。
田舎の田畑は地区ごとに維持管理しておかないと国からの補助金がもらえない。
作り手がみつからず耕作放棄していても、草刈だけはしないと周囲の農家には迷惑がかかる。

「払え」ではないけれど「払ってほしい」というもの。
引っ越して住んではいないけれど、いやだとは言えない (-_-;)

小さな畑の残地がある別な組合からも言ってくる。
毎年約1万円は草刈代を用意しなければならなくなっている。

今年は地震があって田んぼの法面(ノリメン)にヒビが入り、修復費用の分担金5千円も請求された。
来年も請求するそうだ (>_<)
なんというか踏んだり蹴ったりされてるような・・・(+_+)

2016年12月26日月曜日

多重介護の戦い方

昨年、住める状態の自宅を残したまま、義父母の家の近くに戸建を借りました。
その後、1年もたたぬうちに、義父が肺炎で他界しました。
私たち夫婦は引き続き、それぞれの老母の介護に直面していて、
先の見えない戦いはまだ始まったばかりです。

私の車には、トイレクリーナー・アルコールティッシュ・マスク1箱・ごみ箱は常備しています。
時として、母連れ営業にも出かけますが、母が外でトイレとか利用することもあるからです。
まだ、おむつとか使う状況でないのは幸いです。
後部座席の窓ガラスはセピア色なので、外からはよく見えないのも好都合です。
また、トランクにはノコギリ・剪定挟み大小3個・鎌・軍手・ビニール手袋なども入れています。
自宅近くを通った時に、ほんの短い時間でも、荒れた屋敷の手入れをする為です。
いろいろこまごまの工夫と努力以外には手はありませんが、やれることはすべてやるつもりです。


2016年12月17日土曜日

し~りあぶってひゃ~くまで

尻あぶって(暖めて)百(歳)まで、という意味です。
今朝はマイナス2度とか冷え込んだのですが、
お昼からはポカポカとあたたかく、
母は陽当たりの良いサッシに背を向けて
「し~りあぶってひゃ~くまで」と言いながら
お尻をさすっています。

母がまだ若かった頃は、
百歳なんてとてつもない数字に思えたのですが、
年が明ければ母も90歳。
母なら大丈夫かもなぁ・・・と思えてきました。

2016年12月4日日曜日

腎マッサージ

あれっ?
これって、ぎっくり腰になりそうな時に揉んでた場所と一緒だ!
腰が楽になって、体もすっきりするもんね
腎臓に関係してたのかも・・・

2016年11月17日木曜日

百尺竿頭進一歩

今までに私が学んだ最も重要なことは、
この世に現実などほんとうは存在しないということです。
私たちが現実として見ているものはすべて、
私たちがそれをどうとるかという認識の問題だとわかったのです。
人生をどのように認識しているか、
その認識のしかたこそがすべてなのです。
いいかえれば、
私たちの人生は私たちの見ている世界そのものによって決まるのではなく、
自分がどのように世界を見ているかによって決まるのです。
だからこそ、
前向きで実り多き人生は、
私たち個人一人ひとりの生き方にかかっているのです。
自分こそが自分の人生の実現者なのです。
また自分こそが自分の先生なのです。
あなた自身が神であることに気づいてください。
あなた自身が愛です。
あなた自身が光なのです。
そして私たちの自由意思こそが、
自分の内なる神のすべてを発見していく、
”学びの道”なのです。  (シャーリー・マクレーン)

2016年11月16日水曜日

コスモスとひまわり畑

熊本県菊池市七城町河川敷のコスモス畑とひまわり畑です。
なかなか時間が取れず、10月24日に撮影したのが今日アップとなりました…^^;
なので、現在はもうコスモスはあまり咲いていません汗
ひまわりは、まだまだ大丈夫ですよー♪ (ヤマガ空撮さんより転載)

2016年11月9日水曜日

よいよいよい、よいこらしょ

 母が家の中で歩くときに、「よいよいよい、よいこらしょ」とよく言います。
50代60代になると、立ち上がる時に「どっこいしょ」と言ったりしますが、
それは80過ぎてからでしょうか、言わなくなりました。
そのかわりの「よいよいよい」ではないでしょうが・・・

(外を歩くときは「おいちにいさんハイ、おいちにいさんハイ」と腕をふって歩きます。
これは以前書きましたね。)⇒ 関連する過去の投稿

 毎日のことで耳にタコができるほど聞いていますので、
ついつい私も「よいよい」と口にするようになってしまいました。
仕事の時、特にお客様のおられる時に「よいよい」と口ずさみ、
自分でぎょっとします。用心用心(汗)

2016年11月1日火曜日

引っ越して1年になりました

昨年11月に引っ越してからちょうど1年が経過しました。
あまりにいろいろありすぎて、何から書けばいいのか迷うくらいです。

引っ越して最初の冬は過去に例のない寒さでした。
-5℃は生まれて初めての経験で、 実家はお風呂もトイレも凍り付きました。

そして4月の熊本地震。私はもちろん、多くのお客様が被災されました。
いまだに災害死亡認定で、地震による死亡者数は増え続けています。
当時から、あふれんばかりの病院の患者さんを見ていた妻は、
テレビのニュースを見て、「一桁違う、もっともっと大変なんだ」と言っていました。
そして過去に経験のない猛暑。そんな中、義父は肺炎で入院し亡くなりました。

地震と葬儀でほったらかしだった実家の庭は荒れ放題。
草が生い茂り荒れ野原のようになりました。

いよいよ私たち夫婦2人で2人の母親の世話をする"介護戦争"に突入しました。
今後どうなっていくのか、末恐ろしい気がしています。

関連する過去の投稿




2016年10月20日木曜日

「とこっで、今ん人たちゃ誰だったつかい?」

先日、突然、東京から植木の自宅を姪夫婦が子供を連れて訪ねてきました。
びっくりしましたが、母や妻は姪の夫や子供たち(母にとってはひ孫)
に会うのは初めてだったので、大いに盛り上がりました。
特に姪の長女は愛嬌がよかったので、母もにこにこと始終笑顔で応対していました。

話も尽きないようでしたが、姪夫婦は母方の祖母(私の母は父方の祖母)に会うために、
なごり惜しい雰囲気のなか福岡へ向けて帰って行きました。

姪たちの車が見えなくなると、やおら母が私の方を向いて言いました。
「とこっで、今ん人たちゃ誰だったつかい?」(ところで、今の人たちは誰だったの?)

2016年9月26日月曜日

Cafe Music 4

自助努力と他力本願

 基本的には自分が頑張るしかないのが世の中なんだと思いますが、
人生には自分の努力や能力ではどうにもならないことがたくさんある、
とういうか、ほとんどがそうではないかと感じ始めて以来、
浄土真宗の他力本願が身にしみるようになっています。

 勉強やスポーツや仕事は基本的には本人の能力や努力に応じて結果が伴うと思います。
まぁ最近はそうでもないようなことが増えてきているように感じてはいますが・・・
ですが、人との出会いや家族の健康・安全とかになると自助努力などほとんど無力です。
もちろんいろいろ工夫や気配りとかはしますが、あとはただ祈るしかないのが人間だと、
悲しいほどに無力なんだと思うのです。

 他力本願というのは阿弥陀様の本願(誓願)ということで、
個人的にはキリストの十字架に近いイメージを持ちますが、
天の意志というか采配というか、そういうものを肯定して(信じて)、
心で受け止めて、心が感じた方向で一生懸命頑張る、
というのが本来の自助努力ではないかと思うのです。
”天は自ら助くる者を助く”とはそういう意味だと私は思います。
精一杯やったからあとはよろしくと天にお任せするのは本末転倒ではないかと。

いろいろ思うことはありますが、時間がないので今日はこの辺で。

2016年9月22日木曜日

中尊寺の衡年茶

今朝がた届いた宅配は中尊寺の衡年茶でした。母専用のお茶です。
母が飲みだしてから何十年になるでしょうか、毎日かかさず飲んでいます。
3箱で4ヵ月くらいは飲めます。
お値段は少々はりますが、それなりに健康にはいいかな?と思っています。
ちなみに健康診断で、母の血管年齢は70代と言われました ^^;
追伸 母は現在89歳です。

2016年9月14日水曜日

お寺とお墓を考える 

義父の葬儀もあり、あらためてお寺とお墓について考えています。
熊本地震で、どこのお墓も大なり小なり痛手をうけました。
今後どうするのか・・・まずその前にお寺やお墓の現状はどうなのか、
じっくり見て考えていきたいと思います。


2016年8月20日土曜日

義父の入院

義父が15日の月曜日肺炎で入院した。
14日の午後の検査では夏風邪でしょうと言われていたのに、
15日も熱は下がらず、むしろ高熱となり救急車で運ばれた。
重い肺炎であった。

今日20日土曜日で6日目になるが、肺炎の白い影は消える気配がない。
昨夜は妻が病院に泊まり込み、今夜も先ほど出かけて行った。連日の泊りの付添い。
義母は87歳の高齢であり泊りはできず、今日横浜から帰省した義兄と明日は交代の予定だ。

思い当たる原因はいくつかあり、家族としてはやりきれない思いがない訳ではないが、
いろいろな人たちに支えられて、義父母が生活できている現状を思えば、
感謝を差し置いて文句を言うのはやはり無理がある。
現状で私たちがやれるだけのことをやるしかないのだと思う。

どうか義父の病気が回復に向かいますように、母や義母の健康もお守りください(祈)

2016年8月17日水曜日

母語録 ②

そうだったかい?忘れた!
そぎゃん何でんおぼえとったら、頭んパンクする」と母は言います。
私は思い出せないと気になって、ウンウンうなりながら思い出そうとします。
でも、母ときたら思い出すこと自体を放棄してしまっているのです。

昨年まで住んでいた植木の自宅(植木事務所)に一緒に行った帰り、
万石の家(万石事務所)の玄関をくぐりながら、
やっぱ、ウチがいちばんよか」などと言うのです。
母はもともと植木の家付き娘なのですが、今は万石の家がウチなのです。

忘れた方が楽でよかバイ」とすました顔で言い放つ母は
あんがい人生の達人なのかもしれません。

2016年8月13日土曜日

夜が来る 3

妻はお盆で実家へ帰り、今日は午後から母と二人です。
母は早々と寝てしまうので(ときどきトイレ起きしますが)、
私だけの静かな夜になりました。
(ツイッターより転記)
⇒ 関連する過去の投稿「夜が来る 2」


2016年8月12日金曜日

母語録 ①

ォいち にィ さん ハイ!

ォいち にィ さん ハイ!

小学校の先生だった母が歩くときの口癖です。

腕を振ってしっかりと歩こうとします、できませんが・・・

でも、その意思が89歳の母をささえています。

2016年8月11日木曜日

名曲探訪 「新日本紀行」

何度聴いても郷愁にかられますが、
ベースが「君が代」だそうで、
それが原因かなぁ・・・

2016年7月31日日曜日

引っ越して9か月が過ぎました

11月に引っ越してから9か月が経過しました。
暑い夏になりましたが、私たちの寝室にはエアコンがありません。
いろいろ物入りでエアコンまで取り付ける余裕資金がないのです。
手持ち2台のエアコンは母の寝室と事務所で使っています。

さしあたりの対策としてケーズデンキで数量限定の安売り扇風機を買ってきました。
保冷剤をタオルでくるみ、首回りや脇にあててやっと寝つけます。
扇風機が止まると目が覚めるので、最近はつけっぱなしです。

まぁ、それでも何とか家族が病気もせずにいるのはありがたい限りです。
とにかく1年間やり過ごせれば、2年目は少し先が見えるのではないかと思っています。

関連する過去の投稿

2016年7月24日日曜日

「呼び寄せ介護」について

「呼び寄せ介護」という言葉を耳にした。 都会に住む子供が、地方に住む親と同居する、
あるいは近くに住まわせ面倒をみるということらしい。
かつては「遠距離介護」とかいう言葉を耳にしていたが、 最近は呼び寄せに変化したようだ。
遠距離介護は体力がいる。介護する側も高齢化したと いうことだろうか・・・。

呼び寄せられた親は孤独になりそうな気がする。 見知らぬ都会には友人知人もいないし、
たとえ同居できたとしても、(実家とちがって) ”我が家”にいつもいる祖父母には、
孫が寄り付かないかもしれない。
嫁(婿)の対応はどうだろうか。それまでの家族関係が試されてくることになるだろう。
それに昼間は家族もいないことが多いのではないだろうか。 予想される状況を考えて、
周到な事前準備が必要だと思う。

幸せっていうのは

2016年6月16日木曜日

やせたね!病気したの?

昨夜もお客様から声をかけられた。
「やせたね!病気したの?」
人に会うたびに言われ続けた言葉だ。

自分では自覚していなかったが、
昨年の同級生の集まりで、
自分がうつった写真を見たとき、
この人誰?と思うほどやせてやつれた自分がいた。
鏡では自覚できなかったけれど、
写真はしっかりととらえていた。

昨年来、たしかに追い詰められていたし、
今も追われている。

金融庁の指導で務めていた大手代理店がガタガタになり、
一念発起で会社を作り独立代理店となった。
台風で予想以上の被害があり、
母をつれて田舎を離れることになった。
なれない借家生活と母の介護、田舎の家屋敷の管理。
そして、今度の地震・・・

自宅もやられたが、多くのお客様が被災され、
保険会社、代理店あげての対応がつづく。
いろんなことが次々と重なった。

無我夢中だったので気づかなかった自分の外見。
少しずつだが見られる顔に戻ってきていると思う。
とは言うものの、一年ぶりにお会いするお客様からは、
これからもしばらくは言われ続けるに違いない。

「やせたね!病気したの?」

2016年6月10日金曜日

がまだせ熊本!!


愛しとる県、信じとる県、負けん県、立ち直る県、がんばる県、くまもと県

2016年6月8日水曜日

サボテンの花が咲きました!


今年の1月にマイナス5度の寒波が来たので、植木鉢の植物はほとんど枯れてしまいました。
ただ、このサボテンだけは生きているかもしれないと、植木から万石へ移して水やりをしてきました。
その甲斐あって、今年も花を咲かせてくれました。ちょっと小さめですがきれいです。
ご参考→過去記事1過去記事2

2016年6月6日月曜日

ありがとう 元気です


今日の熊本日日新聞の夕刊です。益城町をはじめ被災地域のあちこちに
「がんばろう熊本」や「応援ありがとう」などのメッセージが張り出されています。
息子も熊本市役所職員、当初は不眠不休、今も休日返上で頑張っています。
親としては息子の健康が心配ではありますが・・・

2016年6月3日金曜日

夢追人 (KOKIA)

一番高い所に登って
一番光る星を掴んだ
一番辛い道を選んで
一番強い心をまとった
海を渡る風が吹いた
カシオペアが近くに見えた
夢を追い続けた
そしてここまで来た
でもどうしてかな
熱い涙が止まらない
うつむきかけた時
君の顔が見えた
差し出された白い腕が
翼に見えた
いろんなことを経験したね
あんまり先を急がないでね
いろんな人に巡り会えたね
そんな旅なら悪くはないさ
オリンポスの丘の上から
女神様の歌が聞こえた
夢を追い続ける
もっと遠くへ行く
でもどうしてかな
いつもみんなにいて欲しい
一番星よりも夏の星座が好き
君がいれば夜を越えて銀河になれる
君がいれば夜を越えて銀河になれる
君がいれば夜を越えて銀河になれる


2016年5月27日金曜日

納付書・請求書が来ていない・・・

自動車税、軽自動車税、固定資産税、健康保険料それにカー払の電気代。
延期OKで時期未定は法人税、法人市民税。 その他先送りや先送りOKがいろいろ。
助かるけど、なんか落ち着かない。えっ、なんか勘違いしてないよね( ̄~ ̄;)

2016年3月19日土曜日

静かな朝です


妻は息子の引越しの手伝いで昨日から東京です。
母は朝ごはんのあと炬燵で寝ています。
静かな朝、仕事の前にちょっとパソコンで音楽を聴いています。

2016年3月18日金曜日

桜が咲いた

あと1週間ほどで桜が開花するそうだ。寒かったこの冬も終わり、また春がめぐってきた。
11月に引っ越して4ヶ月余り、どうにか最初の冬を乗り切ったようだ。

胸がキリキリと痛み、あばら骨をさすりながら、このまま死ぬかもしれないと思う夜が幾度かあった。
腰回りがパンパンだったズボンが、ベルトをしないとすとんと下に落ちてしまうほどゆるゆるになった。

それもこれも、ちょっとずつ回復してきている。やっと私にも春がめぐってきたようだ。

2016年2月1日月曜日

2016年1月17日日曜日

母が笑顔で「うん」と言った

転居して2か月半が過ぎた。年末年始は精神的にも体力的にも限界に近くなり、
私が切れたので妻が怒って、いまだに家庭内は平穏ではないけれど、
母は以前より穏やかになったと思う。

コタツでテレビを見ている母に「引っ越して良かったと思うね?」と聞いたら、
母が「うん」と言ったのだ。 しかもにっこり笑って。
いろいろ悩みは尽きないけれど、今は私も引っ越して良かったと思っている。

2016年1月15日金曜日

まだか片付かない台風の爪あと


裏庭の倒木です。節約の為、自分で片付けているので今もこの程度です。
草が伸びてくる3月までにはなんとかしたいのですが・・・

2016年1月10日日曜日

引っ越して2か月が過ぎました

3か月目の1月は妻や息子と口論となり、散々な年明けとなりました。

空き家になった家や田畑(耕作放棄地)の管理、
住みなれない借家での母の介護と増えた経済的負担、
台風の後始末や引っ越しで後手後手に回っている保険の仕事、
悩みは多く先の見えないことばかり。

実家が近くなり喜ぶ妻や義父母(まぁ、当然ではありますが・・・)、
母親べったりに見える息子に対して、
不安に押しつぶされそうな私の気持ちを考えもせず、
よくはしゃいでいられるな!(お正月なので無理からぬことなのですが・・・)
という感情を抑えられませんでした(-_-;)

明日月曜日は成人の日で3連休となり、やっと気持ちが落ち着いて来ました。


2016年1月3日日曜日

悩むな、考えよ!

たしか哲学者の故池田晶子さんの言葉だったかと思う。(違ってるかもしれないが)
私が母のことで悩むとき、いつも念仏のように繰り返しつぶやく言葉だ。

悩んでもどうにもならないことは、どうにもならないのだし、
悩まずに考えるのは難しいが、たしかに悩むことと考えることは、
まったく心の持ち方が違うと感じる。 口に出して言うことで、ふっと気が楽になるから不思議だ。

さぁ、母の下着をどうするか考えよう。悩んだところで何も前には進まない。

お正月そうそうの憂鬱

年明けそうそう憂鬱だ。母が年末以来の下着を着替えてくれない(-"-)

母は時に、下着をかえてくれといっても、だだをこねて言うこと聞いてくれない。
何度も言えばしまいには怒り出してしまつに負えない。
うやき衣類その他、”母が気が付かないように”私の方で整理してはいるのだが、
着替えるのは本人だから・・・

私は男だし、妻も気乗りがしないようだし、どうすりゃいいの(T_T)
清潔な衣類も汚れた衣類も一緒にどこかに直し込むことがあり、
いよいよまったく衣類問題は大きな問題になってきたよ(  ̄д ̄;)