切っても切っても伸びてくるので、この時期までは点と線で切るだけで、
あとはほったらかしです。わたしの田舎ではカンネンカズラと言います。
正式名称だと思っていました、大人になってからも・・・。
その葛の海にもめげず、白い彼岸花が咲いていました。さすが彼岸花!
何がさすがか分かりませんが(汗)
(2026.9.20 撮影)
その葛の海にもめげず、白い彼岸花が咲いていました。さすが彼岸花!
何がさすがか分かりませんが(汗)
(2026.9.20 撮影)
4月は夫婦ともに、精神的肉体的重圧に耐えた1か月でした。
義母(96才)の認知症や孫の病気など課題は多くこれからも続きます。
経済的問題はもとより実家やお墓の課題は先が見えません。
気晴らしの日帰り旅行も2年ぶりです。
日常を離れる時間が年1~2回は必要だと思っているのですが、
なかなか思うようになりません。
孟宗竹のタケノコが見上げるほどに伸びていました。
今日は近所の苦情防止の意味もあって、
石垣の葛や雑草、竹・雑木を切り払いました。
刈払機が重くて肩がガチガチになりました。
上に持ちげても2メートルちょっとの高さが限度、
それから上はボサボサのままです。
脚立も古くて重いので買いなおしたいけど、
軽くて安全なのは値段が高いし、買いなおす余裕もない。
体力勝負の草刈作業は、70才にもなると結構こたえます。
(2026.4.29)
墓じまいを考えてはいるのですが、費用が高くなる一方で、
負担が大きくなり過ぎて、生活に支障をきたす恐れから、
当分見合わせることにしました。
昨今のインフレはすさまじく、なんでもかんでも高くなって、
墓じまいが、はたしてできるのだろうかと案じています。
安心して暮らせる社会になるどころか、このままでは
さらに厳しい生活環境が待っていそうな気がします。
(2025.12.21)
江戸末期頃、曽祖父は庄屋さんたちから上がってくる年貢米の検認をして、
お城に搬入するお役目だったと聞いています。
ですが、薩長が中心となる明治新政府が成立し熊本藩が新政府に恭順した為、
曽祖父は熊本藩から派遣され江戸に上り、戊辰戦争を新政府軍側で戦いました。
上京にあたり曽祖父は御手洗さん(菅原神社)に御神牛を奉納したと聞いていますが、
うろ覚えなので、熊本に帰還してからだったかもしれません。
(写真は曽祖父が奉納した御神牛です)
その後、広島で軍務についていた時に西南戦争が勃発、再び新政府軍側で戦い、
鹿児島まで下りました。大変な時代を生きたんだなぁと思います。
大木になりつつある雑木を切っているときに、車の鍵を落としてしまいました。 なにせ枯れ木、枯れ竹、落ち葉が積み重なった地面に落ちたので、探しても見つかりません。 私のスマホは車の中で使えず、近くの親戚の家に行き、妻に連絡をとってもらいました。 すでに陽は傾いていて、妻が着いた頃には暗くなり、鍵屋さんに、真っ暗になったお墓まで来てもらって 、合鍵を作ってもらいました。3万円ほどの出費となり、がっくりとして帰宅しました。
来年は古希という歳になって、いつまでこの作業を続けられるのか、自問自答の繰り返しです。 もうそろそろ限界かなぁと、墓じまいが頭をよぎります。来年は母の七回忌です。 もう、そろそろお許しいただきたいと、母の墓前でお願いすることになるかもしれません。
ふと庭の隅に目をやると、ツワブキが元気に花を咲かせていました。
父が好きだったツワブキの黄色い花です。
母が好きだった赤い原種ガーベラもいつか復活させたいと思っています。
( 11月17日撮影 )
義母(当時90歳)は義父が亡くなった後、一人暮らしが困難になり、
病院を退院後、老人ホームに入居しました。
義母と妻が話し合い、家財道具の片づけと居宅の維持管理も兼ねて
私たちが妻の実家で暮らすことになりました。
それ以来、妻がホームに行ったり来たりして世話を続けています。
引っ越した年に、庭の隅にキンモクセイを植えました。
植えた翌年はほとんど花はありませんでしたが、
年々少しづつ咲かせるようになってきました。
甘い香りが漂って、なんとなく気がなごんむので、
植えてよかったと思っています。
(^-^;
代わりに23日振替休日に実家の草切りに出かけました。
どこから手を付ければいいのか、悩むくらいの状況ですが、
陽も短くなり気温も少し下がって来たので、
雑草の勢いも以前ほどでもなく、やっと反撃のチャンス到来です。
波濤のごときカズラの近くで彼岸花が咲いていました。
一瞬ですが、気持ちが和らぐありがたい眺めなので、写真に収めました。
実家からの帰り道、夕焼けがきれいでした。
お疲れ様と言ってくれてるようで、これも写真に収めました。
エネルギー使い切って、ぐったりとしていましたが、
セブンイレブンでコーヒー飲んで、少し元気が戻ったら帰りを急ぎます。
”お疲れ様”って自分に言うのが習慣になりました (^^;)
(R6.9.23撮影)
(2024.8.12 撮影)
従兄(伯母の一人息子)は定年前に亡くなり、子供は娘だけだったので、
いたしかたない結果なのですが、母と伯母は仲が良くて行き来も多かったし、
私にとっても思い出深い懐かしい場所でしたので、かなりショックでした。
伯母の家は写真の通り長い石垣のある家で、
裏山があり近くに川が流れているのも実家と似ていました。
実家の方は息子の私が管理をしていますが、今は空き家ですし、
伯母の家と同じようなものかもしれません。
それぞれ違う事情で空き家になり、更地になっていきますが、
詰まるところは少子高齢化が原因かと思います。
更地に新たに家が建つわけでもなく、少しずつ、しかし確実に、
これからも過疎が広がっていくのでしょう。田舎は寂しくなるばかりです。
この付近の集落では除草作業を道造り(ミツクリ)と言うけど、
ふだん通らない道はすぐ消えてなくなるから、
使う時期にまた造る。それで道造りなのかもしれないな。
人も減り荒地も増えて、徐々に昔に帰っていく。
明治以降、大正.昭和.平成.令和と続いてきたけれど、
ふと江戸時代に帰っていくような、そんな錯覚を覚えた。
(2024.7.7)
電線に倒れ掛からないように、用心して全部切り倒したが、
モグラたたきのようなこの戦いが、もうしばらく続きそうだ。
(2024.6.16撮影)
邪魔だからあっち行ってって言われてる感じがしたので、
私の方が引き下がっりました(汗)
(2024.6.2)
車止めの金属パイプにトイプードルが紐でつながれている。
時折、ワンワンとで鳴く。
オスなのか?小さい体のわりに野太い声。
たぶん不安なのだろう、コンビニの入口をじっと見ている。
やがて50代くらいの女の人がコンビニから出てきた。
プードルは鳴くのをやめて、盛んに短い尻尾を振っている。
うれしくて仕方がないという感じ。
女の人も、ゴメンねゴメンねと言わんばかりに駆け寄って、
紐をほどいた。
やがて女の人とトイプードルはまるで親子のように
連れだって歩き出した。
私は、スマホを見るのを忘れて、
その様子をじっと見ている自分に気が付いた。