2022年12月19日月曜日

「傷だらけの人生」鶴田浩二

1970年12月リリース / 藤田まさと(作詞 ) / 吉田正(作曲)
古い歌だと思っていましたが、
歌詞の一言一言が胸にしみます。

幼かった鶴田は目の不自由な祖母と狭い長屋で暮らしていた。祖母は鶴田の母を産んだ際に栄養失調によって失明。祖母との2人暮らしは極貧そのもので、洗面器で米を炊いていたという。程なく祖母が他界。家でたった1人の生活となる。客商売の母は相手にしてくれなかった。そのうえ、義父は博打好きで貯金箱を割ってまで金を奪ったり、更に鶴田が映画界の大スターになってからも不在時を狙って博打代金を借りに来た。

中年期からは任侠映画や戦争物でみせた渋い魅力で、日本映画界を代表するスターとして長らく君臨した。多くの軍歌を歌ったことや戦争映画の主演から右翼と評されることもあった。反面、戦争責任者を憎むこと甚だしく、「東條英機は切腹するべきであった」、「特攻隊は外道の戦術」と公に批判してもいた。(軍歌『同期の櫻』を唄う際には、涙ぐみながら唄う姿が見られた) 特攻基地を飛び立つ戦友たちを見送っていた鶴田は、シベリアで倒れていった戦友たちを見ていた作曲家 吉田正と親交が深かった。『ウィキペディア(Wikipedia)』より

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