2015年6月5日金曜日
2015年6月3日水曜日
崖っぷちの隣保組
私が子供の頃は14軒ほどあったが、今は11軒になった。
内80歳以上の高齢者のみの世帯が3軒、50歳~70歳くらいの世帯だが
後継ぎのいないのが4軒、息子娘が結婚せず孫がいないのが1軒、
孫が将来地元に残るか不明なのが2軒、確実に存続すると思われるのは1軒だ。
近い将来、この隣保組はよくて3軒、もしかしたら1軒になる。
もはやそれは隣保組ではない。3軒とも離れているし、間の道は山道になるだろう・・・
2015年6月1日月曜日
2015年5月22日金曜日
「父の命日」の続き
火葬場の人によれば、たぶん脳内出血していて、血が溜まっていたのではないかとのことだった。
そういえば亡くなる数年前の雨の日に、帰宅途中の山の斜面の道路から、父は崖下の川の近くまで車ごと滑落したのだった。その頃、まだ道路にはガードレールが無かった。"駆けつけた人たちが、道路から滑落した車を見ながら「車を運転してた人は死んでるよね」と話しているのを聞いたが、それが近くにいる私(父)だと誰も気がつかなかった"と父は母に話したらしい。
父はぐしゃぐしゃになった車から這い出し、崖をよじのぼって、道路で話している人たちの会話を聞いた、という母の説明を、以前はなにげなく聞いていたが、考えてみれば不可解な話だ。崖はかなりの高さで、車をクレーンで吊り上げるような事故だったのだから。私はふと、父が臨死体験をしたのではないかと思った。
なぜなら、それからの父の行動は、明らかに以前とは違っていたから。内容は前回書いた通りだが、その時、父は死期を悟ったのかもしれない。
父が亡くなった後、母は時々”一度は死んだ人だから”とか”おまけの命だったから”と話した。 何とも不可解だが、今となっては母から詳しい状況を聴くことはできない。
2015年5月9日土曜日
2015年4月29日水曜日
2015年4月22日水曜日
2015年4月17日金曜日
夜曲
私は仕事を早めに切り上げて弁当を買って帰る。
途中、なんど電話しても自宅につながらない。
やはり母(88歳)は外に出て、ずっと私の帰りを待っていた。
慌ただしい夜。今日中に妻は帰宅できるだろうか・・・
仕事も家庭も走り回る毎日。最近、私も涙もろくなって、すぐに泣いてしまう。
長い長い旅の果てに 僕はこの岸辺にやってきた
何処に向かい流れてるの? 目の前の河よ
向かう場所も見失って なのに何故僕は生きてるの?
問いかけてもこの景色は 何も答えない
消えはしないあの日の痛み 今も聞こえる君の言葉が
泣いて泣いて泣いて どうして人は思いが溢れ出るの?
生きるものすべての涙の雨が やがて河になり 大地を今日も流れてる
ひとつひとつ輝きだす 茜色の空の星達
遥か遠く故郷には 今も僕がいる
永遠など誰も求めず 短すぎる生命を生きてる
泣いて泣いて泣いて どうして人はこんなに弱いのだろう?
すべての哀しみや歓び達が やがて河になり 世界を今日も流れてる
夜へ還る海鳥達よ 僕の孤独も運んでおくれ
泣いて泣いて泣いて どうして人は思いが溢れ出るの?
生きるものすべての涙の雨が やがて河になり 大地を今日も流れてる