
先週の日曜日に生垣の選定をしました。
以前は母がやっていましたが、数年前から私がするようになりました。
母は2時間ほどかけていましたが、私は30分ほどでちゃちゃっと終わらせました。
いかに手軽に見苦しくない程度まで仕上げるかが課題です。
内80歳以上の高齢者のみの世帯が3軒、50歳~70歳くらいの世帯だが
後継ぎのいないのが4軒、息子娘が結婚せず孫がいないのが1軒、
孫が将来地元に残るか不明なのが2軒、確実に存続すると思われるのは1軒だ。
近い将来、この隣保組はよくて3軒、もしかしたら1軒になる。
もはやそれは隣保組ではない。3軒とも離れているし、間の道は山道になるだろう・・・
そういえば亡くなる数年前の雨の日に、帰宅途中の山の斜面の道路から、父は崖下の川の近くまで車ごと滑落したのだった。その頃、まだ道路にはガードレールが無かった。"駆けつけた人たちが、道路から滑落した車を見ながら「車を運転してた人は死んでるよね」と話しているのを聞いたが、それが近くにいる私(父)だと誰も気がつかなかった"と父は母に話したらしい。
父はぐしゃぐしゃになった車から這い出し、崖をよじのぼって、道路で話している人たちの会話を聞いた、という母の説明を、以前はなにげなく聞いていたが、考えてみれば不可解な話だ。崖はかなりの高さで、車をクレーンで吊り上げるような事故だったのだから。私はふと、父が臨死体験をしたのではないかと思った。
なぜなら、それからの父の行動は、明らかに以前とは違っていたから。内容は前回書いた通りだが、その時、父は死期を悟ったのかもしれない。
父が亡くなった後、母は時々”一度は死んだ人だから”とか”おまけの命だったから”と話した。 何とも不可解だが、今となっては母から詳しい状況を聴くことはできない。