2015年6月17日水曜日
2015年6月14日日曜日
生垣の剪定
2015年6月5日金曜日
2015年6月3日水曜日
崖っぷちの隣保組
まぁ、戦前の名残りでもある隣保組だが、この田舎ではまだ機能している。
私が子供の頃は14軒ほどあったが、今は11軒になった。
私が子供の頃は14軒ほどあったが、今は11軒になった。
内80歳以上の高齢者のみの世帯が3軒、50歳~70歳くらいの世帯だが
後継ぎのいないのが4軒、息子娘が結婚せず孫がいないのが1軒、
孫が将来地元に残るか不明なのが2軒、確実に存続すると思われるのは1軒だ。
近い将来、この隣保組はよくて3軒、もしかしたら1軒になる。
もはやそれは隣保組ではない。3軒とも離れているし、間の道は山道になるだろう・・・
2015年6月1日月曜日
2015年5月22日金曜日
「父の命日」の続き
火葬して骨を拾うとき、頭蓋骨の内側だけが燃え残ったようにどす黒かった。
火葬場の人によれば、たぶん脳内出血していて、血が溜まっていたのではないかとのことだった。
火葬場の人によれば、たぶん脳内出血していて、血が溜まっていたのではないかとのことだった。
そういえば亡くなる数年前の雨の日に、帰宅途中の山の斜面の道路から、父は崖下の川の近くまで車ごと滑落したのだった。その頃、まだ道路にはガードレールが無かった。"駆けつけた人たちが、道路から滑落した車を見ながら「車を運転してた人は死んでるよね」と話しているのを聞いたが、それが近くにいる私(父)だと誰も気がつかなかった"と父は母に話したらしい。
父はぐしゃぐしゃになった車から這い出し、崖をよじのぼって、道路で話している人たちの会話を聞いた、という母の説明を、以前はなにげなく聞いていたが、考えてみれば不可解な話だ。崖はかなりの高さで、車をクレーンで吊り上げるような事故だったのだから。私はふと、父が臨死体験をしたのではないかと思った。
なぜなら、それからの父の行動は、明らかに以前とは違っていたから。内容は前回書いた通りだが、その時、父は死期を悟ったのかもしれない。
父が亡くなった後、母は時々”一度は死んだ人だから”とか”おまけの命だったから”と話した。 何とも不可解だが、今となっては母から詳しい状況を聴くことはできない。
2015年5月9日土曜日
2015年4月29日水曜日
2015年4月22日水曜日
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