びっくりしましたが、母や妻は姪の夫や子供たち(母にとってはひ孫)
に会うのは初めてだったので、大いに盛り上がりました。
特に姪の長女は愛嬌がよかったので、母もにこにこと始終笑顔で応対していました。
話も尽きないようでしたが、姪夫婦は母方の祖母(私の母は父方の祖母)に会うために、
なごり惜しい雰囲気のなか福岡へ向けて帰って行きました。
姪たちの車が見えなくなると、やおら母が私の方を向いて言いました。
「とこっで、今ん人たちゃ誰だったつかい?」(ところで、今の人たちは誰だったの?)
話も尽きないようでしたが、姪夫婦は母方の祖母(私の母は父方の祖母)に会うために、
なごり惜しい雰囲気のなか福岡へ向けて帰って行きました。
姪たちの車が見えなくなると、やおら母が私の方を向いて言いました。
「とこっで、今ん人たちゃ誰だったつかい?」(ところで、今の人たちは誰だったの?)
勉強やスポーツや仕事は基本的には本人の能力や努力に応じて結果が伴うと思います。
まぁ最近はそうでもないようなことが増えてきているように感じてはいますが・・・
ですが、人との出会いや家族の健康・安全とかになると自助努力などほとんど無力です。
もちろんいろいろ工夫や気配りとかはしますが、あとはただ祈るしかないのが人間だと、
悲しいほどに無力なんだと思うのです。
他力本願というのは阿弥陀様の本願(誓願)ということで、
個人的にはキリストの十字架に近いイメージを持ちますが、
天の意志というか采配というか、そういうものを肯定して(信じて)、
心で受け止めて、心が感じた方向で一生懸命頑張る、
というのが本来の自助努力ではないかと思うのです。
”天は自ら助くる者を助く”とはそういう意味だと私は思います。
精一杯やったからあとはよろしくと天にお任せするのは本末転倒ではないかと。
いろいろ思うことはありますが、時間がないので今日はこの辺で。
今朝がた届いた宅配は中尊寺の衡年茶でした。母専用のお茶です。
母が飲みだしてから何十年になるでしょうか、毎日かかさず飲んでいます。
3箱で4ヵ月くらいは飲めます。
お値段は少々はりますが、それなりに健康にはいいかな?と思っています。
ちなみに健康診断で、母の血管年齢は70代と言われました ^^;
追伸 母は現在89歳です。
義父の葬儀もあり、あらためてお寺とお墓について考えています。
熊本地震で、どこのお墓も大なり小なり痛手をうけました。
今後どうするのか・・・まずその前にお寺やお墓の現状はどうなのか、
じっくり見て考えていきたいと思います。
今日20日土曜日で6日目になるが、肺炎の白い影は消える気配がない。
昨夜は妻が病院に泊まり込み、今夜も先ほど出かけて行った。連日の泊りの付添い。
義母は87歳の高齢であり泊りはできず、今日横浜から帰省した義兄と明日は交代の予定だ。
思い当たる原因はいくつかあり、家族としてはやりきれない思いがない訳ではないが、
いろいろな人たちに支えられて、義父母が生活できている現状を思えば、
感謝を差し置いて文句を言うのはやはり無理がある。
現状で私たちがやれるだけのことをやるしかないのだと思う。
どうか義父の病気が回復に向かいますように、母や義母の健康もお守りください(祈)
昨年まで住んでいた植木の自宅(植木事務所)に一緒に行った帰り、
万石の家(万石事務所)の玄関をくぐりながら、
「やっぱ、ウチがいちばんよか」などと言うのです。
母はもともと植木の家付き娘なのですが、今は万石の家がウチなのです。
「忘れた方が楽でよかバイ」とすました顔で言い放つ母は
あんがい人生の達人なのかもしれません。