1989年(平成元年)にシングルとしてリリースされた。
ただひたすらに子供だった時代の懐かしい夏の風景を描いた絵日記なのである。
実在した鹿児島時代の"姉さん先生"も 広島時代によく"トンボ獲り"で遊んだ夏も
すべてが僕を育ててくれた"夏休み"なのだ(吉田拓郎)
ただひたすらに子供だった時代の懐かしい夏の風景を描いた絵日記なのである。
実在した鹿児島時代の"姉さん先生"も 広島時代によく"トンボ獲り"で遊んだ夏も
すべてが僕を育ててくれた"夏休み"なのだ(吉田拓郎)
(2024.8.12 撮影)
作者・中沢啓治さんは6歳の時、爆心地からわずか1.2キロ地点で
被爆しました。実はその自伝を「おれは見た」という短編に残しています。
そこで描かれる中沢少年の凄惨な体験は後に「はだしのゲン」として描かれました。
中沢さんは語りました。「ゲンは私そのものなんです」
ゲン=中沢少年が「死ぬまで伝える」と決意した
「地獄なんて生易しいものではない」光景、
そしてあり得ない母親の死とはどれ程の出来事だったのか。
「はだしのゲン」の原型である「おれは見た」をベースに
番組で中沢さんが伝えたメッセージは何だったか。
TBS「筑紫哲也NEWS23」が2004年に放送した
生前の中沢さんの訴えと願いを今一度皆さんと共有したいと思います。
2004年8月6日OA 取材・撮影・構成 TBS報道局解説委員 豊島歩
(TBS NEWS DIG Powered by JNN 2023/02/26に公開)
大阪桐蔭(北大阪)が金足農(秋田)を13-2で破り、
史上初となる2度目の春夏連覇を達成しました。
従兄(伯母の一人息子)は定年前に亡くなり、子供は娘だけだったので、
いたしかたない結果なのですが、母と伯母は仲が良くて行き来も多かったし、
私にとっても思い出深い懐かしい場所でしたので、かなりショックでした。
伯母の家は写真の通り長い石垣のある家で、
裏山があり近くに川が流れているのも実家と似ていました。
実家の方は息子の私が管理をしていますが、今は空き家ですし、
伯母の家と同じようなものかもしれません。
それぞれ違う事情で空き家になり、更地になっていきますが、
詰まるところは少子高齢化が原因かと思います。
更地に新たに家が建つわけでもなく、少しずつ、しかし確実に、
これからも過疎が広がっていくのでしょう。田舎は寂しくなるばかりです。