病棟の看護士さんからの連絡で私が駆け付けた時、
まだ手が暖かくて、ただ眠っているように見えました。
穏やかな表情でしたので、苦しまず静かに息を引き取ったのだと思います。
足がむくんできて、ご飯を食べなくなって1か月、
病院に入院して3週間、緩和ケア病棟に移って10日目の朝でした。
病名は末期のすい臓がんと肝臓の転移がんでした。
余命1ヶ月くらいですが、いつ亡くなってもおかしくない状態とも言われました。
体のむくみと自分で寝返りできないのが辛いようで、
むくんだ手足をさすったり、体の向きを変えてもらったりの毎日でしたが、
がんの苦痛を訴えることはありませんでした。
それでも、母にとってつらい病院生活をさせてしまったという、
後悔の念はいまだに消えません。
むしろだんだん強くなって、思い返すと息が苦しくなります。
振り返れば、ご飯を食べず寝てばかりいて、食べてないのでふらふらして、
トイレの前で転倒しました。朝、声をかけてもご飯はいらないと起きてきません。
それで、介護支援事業所に相談して救急車に来てもらいましたが、
そもそも、その対応は正しかったのか、何度も何度も自分に問いかけています。
どうにかして私の車に乗せて、病院の消化器内科を受診していれば、
あんなにつらそうな1日2~3回、何時間もの点滴をしなくてすんだのではないか。
体がパンパンにむくむようなこともなかったのではないか。
点滴なしなら、数日早く亡くなったかもしれないけれど、
むくんだ体で寝返えりもできないという辛い思いもせずにすんだのではないか・・・
母が辛そうなので「早く緩和ケア病棟に移してください!」と看護師さんに訴えたら、
「あなたは延命しないでいいという確認を本人にとっていますか!」とするどく返されて、
思わず口をつぐんでしまいました。それでも見るに見かねて、
(転院も含めて)「ソーシャルワーカーに相談する!」と言ったら
翌日から急にスタッフの対応が変り、緩和ケア病棟師長が会うことになったと告げられ、
その翌日、緩和ケア病棟師長から病棟移動の話があり、
3日目の朝、緩和ケア病棟に移ることができたのでした。
緩和ケア病棟の主治医の判断は、救急病棟とまるで異なり、
点滴はせず、体のむくみを減らすというものでした。
むくみがとれれば本人も楽になるはずです、とも言われました。
もっと早く、もっと強く病院に訴えて、ここに来るべきだった。
私の後悔の念は消えることがありません。
5年間の介護はたしかに大変でしたが、
母がいないと、心のなかにぽっかり穴があいてしまって、
何をしてもその穴が埋まりません。
ああすればよかった、こうすればよかったと悔やむことがたくさんあって、
母の遺影に「ごめんね、ごめんね」と謝る毎日です。
ただ、能力の限界まで頑張ったと思えることだけが私の救いになっています。
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