カンヌ国際広告祭でグランプリを受賞した。
汗と涙で築いたものはいずれ色あせ崩れ、
どこまで行っても心からの安心も満足もなく、
同じことを繰り返してその一生を終わる。
それが私たちの人生の姿なのではないか・・・
70年近くを生きて、やっと身に染みて感じるようになった
ということかもしれない。
1903年(明治36年)より「精神界」の誌上にて「歎異抄を読む」という記事を
8年間55回にわたり連載し、真宗の禁書であった歎異抄の存在を世に広めた。
1951年(昭和26年)、真宗大谷派の宗務総長に就任し、
窮地に追い詰められていた宗派の財政を回復させた。
真宗大学在学時から俳句を作り、号は非無。
高浜虚子に師事し、詩や俳句も多く残した。