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痴呆を生きるということ
2015年1月26日月曜日
父の命日
3月というのにとても寒い日だった。父は心筋梗塞であっけなく亡くなった。 51歳だった。父のやすらかな死に顔と硬直した脚、みるみる真っ白くなった母の髪。 私は葬儀が終わるまで泣いてばかりいた。泣き虫だと自分でも思った。 でも、私以上に母はずっと泣いていた。こんな泣き虫だったのか、あの気丈な母がと思った。
思い返すと不思議なことばかりだった。亡くなる1年ほど前、父が「熊本に戻ってきてくれ」と言った。 「お前の好きなところで、好きな仕事をするといい」とそれまで言われていたから、びっくりした。 私はまだ大学生で横浜にいたし、先輩はほとんど東京や横浜で就職していた。 面食らったが、父の一生懸命の説得で、熊本で就職することにした。それから父のめまぐるしい引継ぎが始まった。 先祖から受け継いだものを全部見せて、管理の仕方を教えてくれた。田畑山林をひとつひとつ一緒に見て回った。 頼りにしていた伯父伯母に「こいつを後継ぎにしますので、よろしくお願いします」と私を連れて挨拶にでかけた。 なんでそこまでと不思議だった。
「生きとるもんが優先たい」と言って、神仏にこだわらなかった父が、 その頃から、神棚や仏壇、先祖の遺影に手を合わせるようになった。 「どうしたの?」って聞くと、「なんか、ちこらしい気がしてな」と言った。 まさかそれから1年足らずで父が急逝するなど、その時は思いもよらなかったが、 後から思えば、自分の死期を悟ったかのような行動に驚かずにはいられない。
父が亡くなった後、何も知らない親戚から「なんで末っ子のおまえが後継ぎなんだ」と言われた時には、 はらわたが煮えくりかえったが、伯父から 「何も言わん方がいい。黙ってお父さんから頼まれたことをしなさい。」と諭されてがまんした。
父から頼まれた事はいろいろあったが、つまるところ”お母さんを頼む””お墓を頼む” ということではなかったかと思う。何としても父との約束は果たさねばならない。 37年は長かった。でも、あっという間に過ぎ去った。もしかしたら、これからが正念場かもしれない。