2022年12月22日木曜日

「だれかが風の中で」
上條恒彦(木枯し紋次郎)

『木枯し紋次郎』は笹沢左保の股旅物時代小説シリーズ
及びそのテレビドラマ化、映画化された作品。

小説は1971年から発表され、
1972年から放映された市川崑監督 中村敦夫主演のテレビドラマは
視聴率が 30% を超える人気となった。
主人公 紋次郎の決め台詞
「あっしにはかかわりのないことでござんす」
は流行語となった。『ウィキペディア(Wikipedia)』より

「死」を乗り越える方法が見えてきた
シンプリィライフ

聞いてる最中は”なるほど”と思うけど、
しばらくするとやっぱり???となるのが悩ましい。

「ダンスはうまく踊れない」高樹澪

再投稿です。一昨日下書き保存して、昨日公開したら、
その間の投稿が表示されなくなりました。PCだけですが・・・
Bloggerの扱いは今でもよくわかりません(汗)

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独特の声と雰囲気が好きです。
この人の逆境時代、何かの再現ドラマで見たことあります。

それは1999年冬に始まった。片側(へんそく)顔面けいれん。本人の意思に関係なく顔面がけいれんする病気で、目や顔の動きで気持ちを表す女優にとっては役者生命を左右する。「当時、元夫との生活が破綻し、加えて悪意の噂を流されて極度の人間不信に陥っていました。それが心身に過大なストレスを与えていたんです」一人で悩み続け、2003年春には、事務所とも連絡を絶ち、ひっそりと身を引いた。

「それからはずっと、ある企業で内勤をしていました。事務や物品発送、トイレ掃除も。住まいは寮で、女優・高樹澪とバレるよりも、けいれんした顔を見られるのが嫌で、半ば引きこもりでしたね」

転機は2歳年上の同僚の「あなたはここにいるべき人じゃない。諦めたらダメ」という言葉。 「生存確率は7割と宣告されたので、家族全員が危険だと猛反対しました」。だが、生まれ変わろうとする前向きな強い気持ちが希望につながった。鏡を見ると、手術前とは別の元の自分がいる。夢だと思っていた復帰が現実となった。
ZAKZAKby夕刊フジ「私の逆境時代・高樹澪」より

2022年12月21日水曜日

昭和ブルース 
天知茂(非情のライセンス )

天知 茂(あまち しげる、1931年3月4日 - 1985年7月27日)
本名 臼井 登 愛知県名古屋市出身 芸名は中日ドラゴンズの
天知俊一監督と杉下茂投手が由来。

ニヒルな役柄の代表格・代名詞的存在として、
孤独なヒーロー役や悪役を演じることが多かった。
役と本人の人柄が混同されがちだが、
関係者は一様に 真面目だが気さくな人柄だった と語っている。

女性ファンが多く“マダムキラー”の異名を持ったが、
私生活では浮ついたところがなく、よき家庭人だった。
弟子や後輩の面倒見が非常に良かったことでも知られる。
クモ膜下出血により渋谷区の日本赤十字社医療センターにて死去。
満54歳だった。『ウィキペディア(Wikipedia)』より

【だまされるな】
がんの余命や治療、原因、お金のリアル

がん治療に関する自分なりの考えとか、
持っているつもりではいますが、
はたして実際、がん宣告をされた時
冷静な判断と対応がとれるか、自信はありません。
しかし、普段から基本的な知識を持っておけば、
極端なブレはないかなと思います。

大津秀一(おおつしゅういち)<早期緩和ケア大津秀一クリニック院長>
2006 年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科専門研修後、ホスピスに勤務したのち、入院設備のある往診クリニック(在宅療養支援診療所)に勤務し、入院・在宅(往診)双方でがん患者・非がん患者を問わない緩和医療、終末期医療を実践、2010 年6月から東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンターに所属し、緩和ケアセンター長を務める。2018年8月より現職。

2022年12月20日火曜日

面倒だと思ったときは
自分の能力を上げる大チャンスと考えよう

面倒だと思うのは・・・自分の能力が低いから~

仕組みを理解したり、熟練すれば簡単ってことは多々ありますね。
ぼーっと生きてるんじゃねぇよ!って、
チコちゃんに叱られそう(汗)

2022年12月19日月曜日

「傷だらけの人生」鶴田浩二

1970年12月リリース / 藤田まさと(作詞 ) / 吉田正(作曲)
古い歌だと思っていましたが、
歌詞の一言一言が胸にしみます。

幼かった鶴田は目の不自由な祖母と狭い長屋で暮らしていた。祖母は鶴田の母を産んだ際に栄養失調によって失明。祖母との2人暮らしは極貧そのもので、洗面器で米を炊いていたという。程なく祖母が他界。家でたった1人の生活となる。客商売の母は相手にしてくれなかった。そのうえ、義父は博打好きで貯金箱を割ってまで金を奪ったり、更に鶴田が映画界の大スターになってからも不在時を狙って博打代金を借りに来た。

中年期からは任侠映画や戦争物でみせた渋い魅力で、日本映画界を代表するスターとして長らく君臨した。多くの軍歌を歌ったことや戦争映画の主演から右翼と評されることもあった。反面、戦争責任者を憎むこと甚だしく、「東條英機は切腹するべきであった」、「特攻隊は外道の戦術」と公に批判してもいた。(軍歌『同期の櫻』を唄う際には、涙ぐみながら唄う姿が見られた) 特攻基地を飛び立つ戦友たちを見送っていた鶴田は、シベリアで倒れていった戦友たちを見ていた作曲家 吉田正と親交が深かった。『ウィキペディア(Wikipedia)』より

九州ルーテル学院に小学校

学校法人九州ルーテル学院(旧九州女学院)に小学校が再来年できるらしい。
しかも、インターナショナルスクールなんだとか。
今年の6月、西原の一般社団法人熊本インターナショナルスクールが
戸島に新校舎を建設すると発表したばかりだけど。
熊本も変わっていくね。しかも思ったより急ピッチだ。

<以下熊日新聞の記事> 
学校法人九州ルーテル学院(熊本市中央区)がインターナショナルスクールの小学部設置を目指していることが13日、分かった。熊本県菊陽町への台湾積体電路製造(TSMC)進出に合わせて、関係者の子どもや県内からの受け入れを進めたい考え。 学院によると、1学年1クラスで各学年20人弱の受け入れを想定。外国人職員ら約10人も新たに採用する。来年夏以降に同窓会事務局と会議室が入る「エカード会館」を改修し、24年春の開校を目指す。今後事業計画を県に提出し、県が諮問する私学審議会の了承や知事の認可手続きを経た後に募集を開始する。

2022年12月18日日曜日

伊賀氏の変の真相【鎌倉殿の13人】

今日は「鎌倉殿の13人」の最終回でした。
義時の最期に、思わず涙がこぼれました。

歴史の真実は分かりませんが、泥を被って、悪者になっても、
守るべき何かの為に戦っている人はいると思います。