2019年3月20日水曜日

千手観音

正しい名前は千手千眼観自在菩薩で、千本の手がありその手の掌には目が付いています。
手は多くの人々に救済の手を差し伸べ、目は人々を教え導く知をあらわすとされています。
このように千の手と目はどんな人達でも漏らさず救済しようとする
広大無限の慈悲の心を表現しているのです。

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。
阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。
また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
 (「仏像ワールド」より引用)

2019年3月18日月曜日

荒尾干潟

5月の連休のどこかで、佐賀に行くときに荒尾も回ってみようと思っています。
母の介護で、ほとんどレジャーと無縁になった私たち夫婦ですが、
ケアマネージャーに背中を押されて、今年は出かける予定にしています。

2019年3月16日土曜日

お墓のお墓

我が家もお墓が今の場所でいいのか思案中。
都市部の墓地や納骨堂に移した場合、
墓石は石屋さんに撤去を依頼することになる。
まだ先の話だけれど、複雑な気持ち・・・

2019年2月10日日曜日

生まれた時を知らず、死ぬ時も知らず

ある本に「私たちは生まれた時のことを知らない、気が付いた時には生まれている」
というようなことが書かれていました。びっくりしました。
毎年毎年誕生日が来て、お祝いをしてもらったりして、生まれたときのことは知っている気分になっていましたが、本当は何にも知らなくて、”気が付いたら生まれていた”ということに初めて気が付きました。

昨年、大腸カメラを受けた時に、看護師さんの「麻酔しますよ~」という声が聞こえて、
ちょっとぼんやりしてきたものの、なかなか眠らないで、看護師さんの話す声ばかり聞こえるので、いつになったら検査が始まるのだろうと思っていたところ、
「はい、もうだいぶ眠られたからいいでしょう」と声をまたかけられて、
えっ?何言ってるのかなと思ったら、検査はすでに終わっていて、
30分ほど寝かされていたのでした。
死ぬ時ってこんな感じかもしれないなと思いましたし、
死にかかっているとは思っても、死ぬ瞬間はわからないんだと思います。

畜生や、鳥や魚より人間が上等だと思っていましたが、今という時をひたすら生きている点では変わらないと思います。
この命の背後に何があるのかわからないけれど、はっきりしているのは、今生きているということだけです。過去の記憶はどうもあやしいし、未来のことはわかりません。
はっきりしているのは、今生きているということだけだと、あらためて思いました。

2018年12月24日月曜日

アカハネナガウンカ

とぼけた目がやっぱりいいな (^ ε ^)

「かんばれ、がんばれ、がんばれよ!」

母がトイレに行くときの口癖です。

自分を励ましているようです。

トイレはけっこう面倒で、体力のいる作業なので、

母なりに自力で済まそうと頑張っているのです。

母の掛け声は続きます。

「あとちょっと!」

「はい、終わり」

ジャーっという便器の音で、私もほっとします ^^;

2018年12月15日土曜日

引っ越して3年が過ぎました

引っ越したのは3年前の11月でした。
台風と地震、自然災害に追いまくられ、
もともと老朽化していた家はボロボロ、
母は認知症になり、義父は亡くなり、
義母は不安障害で入院しました。
保険会社からは委託契約解除の脅しが続き、
眠れない夜が続きました。
もう災難の連続でした。

頬のこけた顔にギョッとしたのか、知人友人から
「前田くん痩せたね、病気でもしたの?」
と、会うたびに言われました。
実際、夜になると心臓のあたりがキリキリと痛み、呼吸も苦しくなって、
このまま死ぬかもしれない思ったことが何度かありました。
そのうち背中が痛くなり、腰が痛くなり、全身が神経痛状態になり、
寝返りもできなくなりました。
2週間ほどでどうにか回復した時、
「まだ死んじゃダメだ」ということかなと思いました。

妻も過労で倒れ救急車を呼んだこともありましたが、
どうにか最悪の事態を切り抜け、保険会社の契約解除も遠ざかり、
息子は結婚し、今度はどうにか落ち着いたお正月が迎えられそうです。

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