横浜は第二のふるさとみたいな感覚があります。
たった4年間ですが・・・
季節の上ではもう冬なんだけれど、
庭の様子はまさに晩秋でした。
連中は地下で英気を養うだろう。私は来春の戦いに備える。
決着がつくのは来年だ。
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あの丘にある「風の電話」へ
天国に繋がるただ一つの電話へ
今日もまた人々が訪れる。
ベルリン国際映画祭審査員特別賞受賞
監督 諏訪敦彦
主演 モトーラ世理奈
監督 犬童一心
出演 吉永小百合, 天海祐希, ムロツヨシ
人生のすべてを“家庭”に捧げてきた<大真面目な主婦>と、
人生のすべてを“仕事”に捧げてきた<大金持ちの女社長>。
出会うはずのない二人が、余命宣告をされて、ある病院で出会う。
二人がたまたま手にしたのは、
同じ病院に入院する12歳の少女の【死ぬまでにやりたいことリスト】。
今までの自分だったら絶対にやらないことも、自らの殻を破って初体験。時に笑い、時に喧嘩もしながら、少女の夢を通して自分の人生に向き合った二人。そこにはある奇跡が待っていた――。
Rating G (C)2019「最高の人生の見つけ方」製作委員会
ご参考記事→「墓掃除に行ってきました」(7月12日)
(上 9月11日撮影、下は10月3日撮影)
感動のラスト。事前にいろいろ予想しましたが、
私はみごとに外れました(汗)
【最愛の人たちを失った時、自分は生きていけるのだろうか?
生きていく道がわからないから、
迷い、悩み、立ち止まったまま歩けないのだと思う。
一人になったとしても、また歩き出さなければならない。
というか、そのきっかけを与えてくれる出来事が起こる不思議。
人は人生で学ぶべきことは学び、
生きることが必要ならおのずとそうなるように導かれるのかもしれませんね。】
(レビュー:シン)
近年はカズラの勢いがすさまじく、
2年間そのまま何もしなければ、
墓石が見えなくなるのではないかと思います。
ここ数ヶ月お参りしてなくて申し訳ないなと思いつつ、
作業に取り掛かりましたが、
カズラの繊維が絡みついて、
草刈り機さえ回転が止まるほどでした。
とりあえず、お墓周辺のカズラや草を取り除き、
この作業も私たちの世代が最後かもしれないと思いつつ、
お花をお供えして帰りました。
(令和3年7月12日)
木の枝、イバラやグミの刺などでシャツが破れたりして
生傷が絶えないので絆創膏は必需品です。
草刈り機で小石などがはねることもあり、
メガネをしてなければ、ゴーグルなども必要になります。
蛇はゴム長靴だからいいけど、スズメバチは怖いですね。
くわばらくわばら。
6月というのに真夏日が続く今の気候は、
竹にはよほどいいらしい。
この戦いはかなり分が悪いが、
あと1か月もすれば潮目が変わる。
その時まで何とか持ちこたえて、
一気に反撃するつもりだ。
(6月20日)
山鹿灯籠まつり実行委員会では、新型コロナウイルス感染症の収束が見通せないなか、現状では参加者及び来場者の皆様の健康・安全確保が困難であり、全国的な感染拡大へと繋がる懸念があることから、苦渋の決断ではございますが、8月15日・16日に開催を予定しておりました「山鹿灯籠まつり」の中止を決定いたしました。
なお、奉納灯籠等の神事については、感染拡大防止の観点から関係者のみで実施します。
令和3年5月14日
山鹿灯籠まつり実行委員会
草たちはいっせいに伸び這いまわり、実家の庭をそして建物を、
覆いつくそうと迫ってくる。
春を楽しむなんて悠長な時間は私には無い。
石垣にはカズラはもとより、ハゼなどかぶれる木や茶毒蛾などの毒虫もいる。
単に剪定鋏や鋸で切ればいいというものでもないのだ。
さぁ、今年も雑草雑木との戦いが始まった。負けたら実家は山林(ヤマ)になる。
孤児のブランカはずっと暗い顔で、自分を捨てた母の代わりに、
お金で母親を買おうとお金をためていました。
でもギター弾きのピーターと一緒に過ごすうちに、
お金で愛情は買えないこと、自分にとって大切な人は誰なのか、
少しずつ気づいていきます。
映画の終わりに、孤児院を逃げ出してきたブランカがピーターを見つけた時、
初めて見せた満面の笑みがとても印象的でした。
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二「厄除け詩集」
私はたしか以前にも見たはずだ。漠然とだが記憶がある。
でもその時はさらっと流すように見て、特段の感動は残らなかった。
改めてAmazonでビデオを見たら、やたら胸に突き刺さり、
寝るのを忘れて見てしまい、ベッドに潜り込んだ後も涙が止まらなかった。
なぜだろう・・・よくわからない。
もしかしたら、ここ数年、思うようにならないことだらけで、
もがきながら生きてきたからかな?と思ったりする。
それでいて、偶然もどこか意図的で、
運命に操られるように生きてきたという感覚が私の中に宿っている。
向こう岸を目指して泳いでいるつもりが、川の流れに流されて、
いつしか思いもしない所に来てしまったような・・・
令和3年1月2日の今日、実家近くの墓地へ
お墓参りに行きました。
年末29日にお花をお供えしてたので、
大晦日の寒波で萎れてしまってないか
とても心配でした。
行ってみたら、若干弱ってましたが、
まぁこれくらいなら・・・って感じでした。
ちょっとお花が少なかったかなぁ・・・