2015年3月7日土曜日

傘も日光浴


最近は曇ったり小雨が降ったりの天気が多く、傘を乾かす時間がなかなかとれませんでした。
先日はひさびさに上天気で、洗濯物を干した後、傘も乾かしました。なかなかカラフルです。

2015年2月24日火曜日

あなたに恋をしてみました


フジテレビ「デート ~恋とはどんなものかしら~ 」の主題歌です。
別に歌が上手とは思いませんが、小泉今日子みたいに、なぜか耳に残ります。

2015年2月16日月曜日

「だいじょうぶ認知症」

無駄のないシンプルな文章ですが、わかりやすく説得力があります。
知っておくべき事の要点をきちんとまとめてあります。買って良かったと思いました。

2015年2月6日金曜日

痴呆を生きるということ

痴呆を生きるということ (岩波新書)
10年ほど前に初めてこの本を手にとった時、 眼から鱗が落ちるよう気がしました。
今でも読むたびに、はっとさせられることがあります。
この本のおかげで、母の症状にもある程度の知識をもって臨むことができました。
それでも毎日あたふたしています(汗)

母の誕生日


1月30日は母の誕生日でした。写真は兄から贈られた蘭の花です。
母の認知症による行動も、だんだん理解できるようになり、少し落ちついてきました。

2015年1月26日月曜日

父の命日

3月12日は父の命日だ。なぜか1月も終わり近くなると思いだす。もうかれこれ37年になる。

3月というのにとても寒い日だった。父は心筋梗塞であっけなく亡くなった。 51歳だった。父のやすらかな死に顔と硬直した脚、みるみる真っ白くなった母の髪。 私は葬儀が終わるまで泣いてばかりいた。泣き虫だと自分でも思った。 でも、私以上に母はずっと泣いていた。こんな泣き虫だったのか、あの気丈な母がと思った。

思い返すと不思議なことばかりだった。亡くなる1年ほど前、父が「熊本に戻ってきてくれ」と言った。 「お前の好きなところで、好きな仕事をするといい」とそれまで言われていたから、びっくりした。 私はまだ大学生で横浜にいたし、先輩はほとんど東京や横浜で就職していた。 面食らったが、父の一生懸命の説得で、熊本で就職することにした。それから父のめまぐるしい引継ぎが始まった。 先祖から受け継いだものを全部見せて、管理の仕方を教えてくれた。田畑山林をひとつひとつ一緒に見て回った。 頼りにしていた伯父伯母に「こいつを後継ぎにしますので、よろしくお願いします」と私を連れて挨拶にでかけた。 なんでそこまでと不思議だった。

「生きとるもんが優先たい」と言って、神仏にこだわらなかった父が、 その頃から、神棚や仏壇、先祖の遺影に手を合わせるようになった。 「どうしたの?」って聞くと、「なんか、ちこらしい気がしてな」と言った。 まさかそれから1年足らずで父が急逝するなど、その時は思いもよらなかったが、 後から思えば、自分の死期を悟ったかのような行動に驚かずにはいられない。

父が亡くなった後、何も知らない親戚から「なんで末っ子のおまえが後継ぎなんだ」と言われた時には、 はらわたが煮えくりかえったが、伯父から 「何も言わん方がいい。黙ってお父さんから頼まれたことをしなさい。」と諭されてがまんした。

父から頼まれた事はいろいろあったが、つまるところ”お母さんを頼む””お墓を頼む” ということではなかったかと思う。何としても父との約束は果たさねばならない。 37年は長かった。でも、あっという間に過ぎ去った。もしかしたら、これからが正念場かもしれない。