2019年11月7日木曜日

新たな戦い

親戚は旧家で大きな家がある。
だが、空き家となり雨漏りが始まった。
修理費用をはじいてもらったら700万円といわれたらしい。
解体するにも、同じくらいかかりそうだと話していた。

私にとって目が飛び出るような話だった。
我が家は親戚の家ほどはないものの、
構造は同じようなものだし、かなりの費用になると思われるからだ。

現状でも、地下水くみ上げのポンプがこわれたり、
浄化槽にトラブルが生じたり、10万、20万のお金がぽんぽん出ていく。
田畑山林はお金にならず、むしろ管理費用だ、草刈代だと小口ながら
費用がかかる負の資産になっている。

父が亡くなった後、納骨堂を整備、息子三人を結婚させ、自宅を改修、
圃場整備(国の施策で避けられなかった)にもかなりのお金を使った。
その結果、我が家にお金はほとんど残されていない。
私の収入や年金は生活費に回せばほとんど残らない。まさに崖っぷち、
一歩間違えば路頭に迷うことになる。

母が残したものは負の資産だけ?
それでは母があんまりかわいそうだ。
母は母なりに必死で家を守ってきたのに。

だけど、まさか世の中がこれほど変わろうとは予測していなかった。
母の時代は、田んぼひとつ売れば300万くらいになった。
いざとなれば、田畑を少し手放せば生活には困らないだろうと思っていた。
だが現実は違って、借り手も買い手もつかないありさまだ。

じゃあ何も残っていないのか。母は何も残さなかったのか。
そんなことはない。母は私という人間を残していった。
私は母から家の再建を託されたと思っている。

5年間の介護戦争は私を強くした。私は負けない。
あらゆる手段を尽くして前田家を再建する。
それが私の弔い合戦、一番の母の供養だと思うから。

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を飛びゆく鳥のように
混沌の世を生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇でなく
光であることを知らねばならぬ  (坂村真民詩集より)

2019年11月5日火曜日

老乱(久坂部洋著)

読もうと思って取り寄せていたのですが、
母が食べなくなって、入院して、亡くなって、
今日まで1カ月近く本棚に置いたままになっていました。
昨日からやおら取り出して、少しづつ読み始めました。

帯には
<老い衰える
不安をかかえる老人、
介護の負担で
つぶれそうな家族。
地獄のような
日々から、やっと
ひと筋見えてきた
親と子の
幸せとは・・・・・・。

在宅医療を知る医師
でもある著者が描く
”不都合な真実”。
新たな「認知症小説」!>
とあります。

2019年11月3日日曜日

1人暮らしと Amazonパントリー

義母の病気の関係で妻が実家に帰っているので
もう2カ月余り1人暮らしだ。
まだ、いつまで続くかわからない。

こんなとき、毎日の買い物もけっこう負担になる。
退職したサラリーマンなら時間はあるだろうが、
私には退職はない。仕事をしながらの1人暮らし。
葬儀の後のいろいろな諸手続きもまだ終わらない。
49日の法事も控えている。時間に追われる毎日だ。

こんなとき、おもい水やレトルト食品など、
どかっと届けてもらえると、しばらくは生きていけるな、と思う。
若干費用はかかるが、時間にはかえられない。
ブログは私の貴重な息抜き時間、忙しいけどやめられない(^^;)

2019年10月22日火曜日

母が亡くなりました

明け方、緩和ケアの病室でなくなりました。
病棟の看護士さんからの連絡で私が駆け付けた時、
まだ手が暖かくて、ただ眠っているように見えました。
穏やかな表情でしたので、苦しまず静かに息を引き取ったのだと思います。

足がむくんできて、ご飯を食べなくなって1か月、
病院に入院して3週間、緩和ケア病棟に移って10日目の朝でした。

病名は末期のすい臓がんと肝臓の転移がんでした。
余命1ヶ月くらいですが、いつ亡くなってもおかしくない状態とも言われました。
体のむくみと自分で寝返りできないのが辛いようで、
むくんだ手足をさすったり、体の向きを変えてもらったりの毎日でしたが、
がんの苦痛を訴えることはありませんでした。

それでも、母にとってつらい病院生活をさせてしまったという、
後悔の念はいまだに消えません。
むしろだんだん強くなって、思い返すと息が苦しくなります。

振り返れば、ご飯を食べず寝てばかりいて、食べてないのでふらふらして、
トイレの前で転倒しました。朝、声をかけてもご飯はいらないと起きてきません。
それで、介護支援事業所に相談して救急車に来てもらいましたが、
そもそも、その対応は正しかったのか、何度も何度も自分に問いかけています。

どうにかして私の車に乗せて、病院の消化器内科を受診していれば、
あんなにつらそうな1日2~3回、何時間もの点滴をしなくてすんだのではないか。
体がパンパンにむくむようなこともなかったのではないか。
点滴なしなら、数日早く亡くなったかもしれないけれど、
むくんだ体で寝返えりもできないという辛い思いもせずにすんだのではないか・・・

母が辛そうなので「早く緩和ケア病棟に移してください!」と看護師さんに訴えたら、
「あなたは延命しないでいいという確認を本人にとっていますか!」とするどく返されて、
思わず口をつぐんでしまいました。それでも見るに見かねて、
(転院も含めて)「ソーシャルワーカーに相談する!」と言ったら
翌日から急にスタッフの対応が変り、緩和ケア病棟師長が会うことになったと告げられ、
その翌日、緩和ケア病棟師長から病棟移動の話があり、
3日目の朝、緩和ケア病棟に移ることができたのでした。

緩和ケア病棟の主治医の判断は、救急病棟とまるで異なり、
点滴はせず、体のむくみを減らすというものでした。
むくみがとれれば本人も楽になるはずです、とも言われました。
もっと早く、もっと強く病院に訴えて、ここに来るべきだった。
私の後悔の念は消えることがありません。

5年間の介護はたしかに大変でしたが、
母がいないと、心のなかにぽっかり穴があいてしまって、
何をしてもその穴が埋まりません。

ああすればよかった、こうすればよかったと悔やむことがたくさんあって、
母の遺影に「ごめんね、ごめんね」と謝る毎日です。
ただ、能力の限界まで頑張ったと思えることだけが私の救いになっています。

2019年9月9日月曜日

インタビュー 三好春樹

すごく示唆に富あんだインタビューです。
三好さんの話にはいつもはっとさせられます。
すごい人ですね。

2019年8月26日月曜日

東京家族(山田洋次監督)

私は、子供3人が皆、東京へ出て行って、田舎で夫婦2人暮しの主人公平山周吉が、
子供たちを訪ねて東京へ出てきて、旧友の沼田三平と居酒屋で飲みながら話すシーンが
心に残りました。

「わしらの故郷は寂しゅうなるばかりじゃ」「どっかで間違ごうてしもうたんじゃ、この国は」
「このままじゃいけん、このままじゃ」そう言って平山は医者に止められている酒に酔い潰れて
いきます。

そうなんだよなぁ・・・私たちの故郷は寂しくなるばかりだ、このままでは・・・(涙)

うて

2019年8月21日水曜日

母のパンツ

私は今も紙パンツと呼んでいるのですが、
施設ではリハビリパンツと言うのがふつうのようです。
最初聞いたときは「リハビリ?」何んのことだろう・・・
聞きなれない言葉にまごつきました (~_~;)

別居という選択

妻とは別居しています。かれこれ1か月近くなります。
仲たがいしたとか、そういうことではありません。
きっかけは夫婦げんかではありましたが(汗)

けんかして妻が実家に帰るのは初めてではありません。
今回も翌日「ただいま」と言って帰ってきました。
「お帰り」と私が言えば、今までと同じ生活が始まります。
でも、今回は「帰れ!」と怒鳴って追い返してしまいました。

本来ならば義母の介護の中心となるべき義兄夫婦の
妻(妹)の介護支援依頼に対する冷淡な対応に怒りが収まらず、
いつのまにか妻に対しても、お前がお人よしだから、と責めていました。

義兄は、義母は周囲に甘えがちだからほうっておけばよいと突き放し
義兄との同居を望む義母の(自宅マンションへの)引き取りを拒絶しました。
(義母は既に90歳です。甘えとかそういうレベルで判断する時期は過ぎています)

さらに、義母の不足する生活費(月2万円ほど)の負担も即座に拒絶しました。
(義兄は元官僚です。お金がないはずはない、と妻は言います。)
結局、何もする気はないということか !
私の怒りは頂点に達していました。

義兄夫婦は県外在住( 神奈川 )を盾に逃げの一手。
こっちは実母の介護で手一杯なのに、義母の世話までさせておいて、
手を差し伸べようともしない妻の兄夫婦。彼らに対する怒りが妻へ向かっていました。

ただ、一方で冷静な判断も働いていました。
妻も二人の母親の対応で疲れ切っていました。
そのためか、キツイ口調をするようになっていました。
それが私の怒りを呼び、私も妻に怒鳴ったりすることが多くなっていました。
お互いイライラしながら生活していては夫婦げんかが絶えなくなる。
そうすれは、本当に仲たがいすることになりかねない。
ここは、顔を合わせない時間が必要だと、心のどこかで思っていました。

老人ホームから自宅に帰りたがっている義母。
でも、1人で暮らすのは無理な健康状態。たまたま夫婦げんかで実家に帰った妻。
冷静に考えれば、義母と妻が同居するのが一番合理的に思えたのです。
しかしそこには(妻に出て行かれた私に)仕事をしながら実母を1人で介護するという、
さらなる負担が待っていました。

平均睡眠時間5時間余り。(現在は6時間くらいとれるようになりました)
夏場にお風呂に入る時間もとれず、タオルで汗を拭く毎日。
妻が夕食を作りに来るようになり、少し落ち着きましたが、
仕事に回せる時間は激減しました。収入も当然下がってきます。
ただ幸いなことに、夫婦げんかはほとんどなくなりました。

この先どうなるのか、まったく見通せませんが、
この判断が間違いでなかったことを祈るのみです。