2015年2月24日火曜日
2015年2月16日月曜日
2015年2月6日金曜日
痴呆を生きるということ
2015年1月26日月曜日
父の命日
3月というのにとても寒い日だった。父は心筋梗塞であっけなく亡くなった。 51歳だった。父のやすらかな死に顔と硬直した脚、みるみる真っ白くなった母の髪。 私は葬儀が終わるまで泣いてばかりいた。泣き虫だと自分でも思った。 でも、私以上に母はずっと泣いていた。こんな泣き虫だったのか、あの気丈な母がと思った。
思い返すと不思議なことばかりだった。亡くなる1年ほど前、父が「熊本に戻ってきてくれ」と言った。 「お前の好きなところで、好きな仕事をするといい」とそれまで言われていたから、びっくりした。 私はまだ大学生で横浜にいたし、先輩はほとんど東京や横浜で就職していた。 面食らったが、父の一生懸命の説得で、熊本で就職することにした。それから父のめまぐるしい引継ぎが始まった。 先祖から受け継いだものを全部見せて、管理の仕方を教えてくれた。田畑山林をひとつひとつ一緒に見て回った。 頼りにしていた伯父伯母に「こいつを後継ぎにしますので、よろしくお願いします」と私を連れて挨拶にでかけた。 なんでそこまでと不思議だった。
「生きとるもんが優先たい」と言って、神仏にこだわらなかった父が、 その頃から、神棚や仏壇、先祖の遺影に手を合わせるようになった。 「どうしたの?」って聞くと、「なんか、ちこらしい気がしてな」と言った。 まさかそれから1年足らずで父が急逝するなど、その時は思いもよらなかったが、 後から思えば、自分の死期を悟ったかのような行動に驚かずにはいられない。
父が亡くなった後、何も知らない親戚から「なんで末っ子のおまえが後継ぎなんだ」と言われた時には、 はらわたが煮えくりかえったが、伯父から 「何も言わん方がいい。黙ってお父さんから頼まれたことをしなさい。」と諭されてがまんした。
父から頼まれた事はいろいろあったが、つまるところ”お母さんを頼む””お墓を頼む” ということではなかったかと思う。何としても父との約束は果たさねばならない。 37年は長かった。でも、あっという間に過ぎ去った。もしかしたら、これからが正念場かもしれない。
2015年1月25日日曜日
2015年1月19日月曜日
2015年1月15日木曜日
在宅介護のお客様を訪問しました
「退院したら医療保険ももらえなくなりました。」
「何もかも主人まかせだったので、何をどうしていいかわかりません。」
「今日は主人をお風呂にいれなくては。介護に追われる毎日で・・・」
損害保険の手続きでお伺いした時、奥さまから出てくる言葉は
生命保険、医療保険についての嘆きのような言葉ばかり。
生命保険や医療保険は別の生命保険会社の外務員さんが担当だが
しっかりやってくれているそうだ。
要はその保険会社の商品が時代の変化に十分対応できていないのだと思う。
商品の定期的見直しでは、時代に対応した商品に切り替えていくことも検討が必要だ。
お客様は介護に追われて考える毎日で、保障の内容をしっかり検討したいが余裕がない。
私たちがお電話したりお伺いしている時間だけが、内容見直しの貴重な時間だ。
近頃はお客様から"よろしくお願いします"とお願いされることが多くなった。
お客様の事情を知る私たちだからこそできる提案というものがあると思う。(前田)