2015年8月1日土曜日

母が上手に字を書いた!

先日、かかりつけの医院へ薬をもらいに行きました。
受付で名前を書くのですが、母が鉛筆をとって、さらさらと自分の名前を書いたのです。
最近はうまく書けないからと、字を書くことを嫌がることが多いのですが、
その日はためらいもなく、私の記憶では母がまだ教員であったころの、自信にあふれた字をかいたのです。
もう受付簿には20人ほどの名前が並んでいましたが、母の字が一番立派に見えました。

最近の母の字はいつも右上がりになり、字の間隔も広かったり狭かったり、
字そのものも大きかったり小さかったりと、たしかに書くのに一苦労といった感じでした。
にもかかわらずその日は、いやその日から、母は名前を書くようになりました。
宅配の受け取りはもともと大好きなのですが、準備しているシャチハタを使わず、
自分の名前を書いて受け取っています。

認知症は良くはならない、だんだん悪くなると医者から言われましたが、
はたしてそうなのかと疑問を持つようになりました。
今の状態が元に戻らないことを祈るばかりです。

戦争だけはごめんバイ

母がニュースを見ながら言う言葉だ。米寿の母がきっぱりと意思表示をする。
戦争を知っている世代は戦争反対の意識は強いと思う。
私は母の言葉を聞いて生きてきた。 しかし、最近の若者はどうだろう?
ジブリ高畑勲監督の言葉(下記)が気にかかる。
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「空気を読む」と若者が言うでしょう。私はこの言葉を聞いて絶望的な気持ちになります。
私たち日本人は昔と全然変わっていないんじゃないか、と。
周りと協調することは良いことですが、この言葉は協調ではなくて同調を求めるものです。
歩調を合わせることが絶対の価値になっている。(中略)
古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に踏み込んでいったのです。
私はこれを「ズルズル体質」と呼んでいますが、「空気を読む」なんて聞くと、
これからもそうなる危うさを感じずにはいられません。」

2015年7月25日土曜日

母の笑顔は私の救い

私の母は昨年からもの忘れがひどくなり、
昨日のことはもとより、数時間まえのことさえ憶えていなかったりする。
認知症の初期、要介護1と診断された。
なにかと手がかかり、私の日常は母の為に半分近く費やされている。
にもかかわらず、母に救われていると思うことがたびたびある。
若いころの母には感じなかったこの感情は何だろうか・・・。

私は若いころの母に似ているのか、けっこう猜疑心があり邪気の多い毎日だが、
今の母にはそれがない。母を見て微笑むと満面の笑みが還ってくる。
笑顔たいする笑顔だ。そこに救いがある。生きる気力がわいてくる。

母を助けているはずの私が、本当は母に助けられているのかも知れないと思う。

2015年7月24日金曜日

2015年7月18日土曜日

サンキュー。

おかきをお箸でおかしいですか?


ブラックニッカをちびりちびり飲みながら、おかきを食べてます。
手に塩がつくのが厭なのでお箸を使います。
妻は横目で”変な人ね”と言わんばかりに”ふん”と鼻をならします。

そんなにおかしいかなぁ(-_-;)