2015年11月7日土曜日

引っ越しました

仕事と介護を両立させる為にはどうすればいいか悩んだ末の結論です。
費用はかかりますが、共倒れの危険は何とか回避できるのではないかと思います。
ご先祖様には申し訳ないけど、老人だらけの田舎で、会社や病院、スーパーも遠く、
仕事をしながらの介護は無理だと判断しました。判断が正しかったことを祈るのみです。

→ 関連する過去の投稿

追伸 清水万石に引っ越してもうすぐ1ヶ月になろうとしています。
徐々にではありますが、今までより仕事のできる環境になってきました。
また、ぶつぶつ不満を言っていた母の顔にも笑顔が増えてきました。
不安でしたが引っ越してよかったと思えるようになってきました。(11月28日)


2015年9月23日水曜日

2015年9月20日日曜日

お地蔵さんと彼岸花

昨年より花の種類が増えました(^^)

ご参考 → 昨年の記事

お彼岸の墓掃除


台風で孟宗竹やクヌギの落ち葉が山のようでした。墓石に叩きつけられて乾燥した葉っぱは、
濡れた雑巾で拭かねばとれません。一人で行ったので重労働になりました(-"-;)

2015年9月13日日曜日

竹林の彼岸花


八幡さん裏の竹林の彼岸花です。
この日はやぶ蚊がものすごくて、手首や首筋を掻きながら撮りました。

八幡さん祭り


ご近所7戸だけの小さな氏神様です。
ささやかですが 玉ぐし奉てんをします。

2015年9月11日金曜日

たまに腫れるスズメバチに刺された跡


もう2年以上たつというのに、たまに腫れます。
どういう時に腫れるのか、よくわかりません。
肝臓が弱ってる時かなと、勝手に想像したりしています。
ご参考→2年前の記事1  2年前の記事2

2015年9月4日金曜日

台風被害


庭のモチノキが倒れました。屋根のシャチホコも落下してか瓦を割りました。
こまごました被害は数多く、通常の状態には当分戻れそうもありません。

2015年8月18日火曜日

夜が来る 2

サントリーウイスキー”山崎”を飲んでいる。息子が還暦祝いで買ってくれたものだ。
ふだんは安物ばかり飲んでいるので、こんなに違ったかと、思わずうなってしまった。

知らないわけではない。銀行員の頃はジョニ黒やオールドパーあたりを当たり前に飲んでいた。
銀行を辞めたあたりから家計が苦しくなり、子供の教育費に追われる頃は、
発泡酒以外はほとんど飲まなかった。
そして今まで、ウイスキーなら何でもいいや、なんて感じになっていたのだ。

息子はありがたい。還暦になったし昔の気分を味わってね、なんてことかなと勝手に考えている。



Don don din don shubi da don 夜がくる
Don don din don shubi da don 灯りがつく
あの街 この街 黄昏て 紫色の 夜がくる
心の中にも 灯がともる 地球がまわる 陽が沈む
Don don din don shubi da don 何時の間に
Don don din don shubi da don 時が過ぎる
誰かブルースを 歌っている 何かが 待ってる 夜がくる
Singin' in the dark誘われて
月は東に日は西に

Don don din don shubi da don Oh deh… Oh!
Don don din don shubi da don Ah din don shubi da don
愁いも 悩みも さようなら
Don don din don shubi da don 夜がくる
Dreamin' in the night 魅せられて
街の谷間に 夜がくる 夜がくる

2015年8月16日日曜日

やっと読み終えました!
「痴呆老人」は何を見ているか

当初思っていた”認知症の本”というレベルをはるかに超えた、心理学、哲学の本です。
頭の中で時間をかけて整理整頓しないとなかなか説明できません(;-_-;)
ただ、認知症の老人やひきこもりの青少年の見方が変わり、
今の日本人・日本社会の問題が見えてきたような気がします。→前の記事

美しき緑の星

2015年8月7日金曜日

母が喜ぶ女性週刊誌

家の中に居ることが多くなった母が退屈しないように、
いろいろと工夫しましたが、なかなかうまくいきません。
お手玉はボケ防止にいいと聞いて取り寄せましたが、 すぐに飽きてしまいました。
同じくボケ防止の効果のあるクイズ形式のドリルとかも買ってみましたが、
自分からは開けようともしません。

何かないかと悩む毎日。ある日コンビニで、ものはためしと週刊文春を買って帰ったら、
懐かしいようで何度も何度もめくって見るのです。ただ、ちょっと文章は読むのがつらそうでした。
そこで今度は週刊女性セブンに切り替えて買って帰ったら、これが大当たり\(^o^)/
あまり文字を読む必要もなく、めくってながめるだけで楽しいようでした。

それから2ヶ月あまり過ぎました。今は週刊女性自身とかもおりまぜながら、
毎週一冊、母に渡すようにしています。

2015年8月6日木曜日

やあ、今年もまた会ったねバッタくん


ちょっとアップするのが遅くなりましたが、
先月末に裏口のガラス戸にいたバッタくんです。
たまに車庫や玄関にも現れます。
以前はお風呂場にいたこともありましたね。→過去記事

2015年8月1日土曜日

母が上手に字を書いた!

先日、かかりつけの医院へ薬をもらいに行きました。
受付で名前を書くのですが、母が鉛筆をとって、さらさらと自分の名前を書いたのです。
最近はうまく書けないからと、字を書くことを嫌がることが多いのですが、
その日はためらいもなく、私の記憶では母がまだ教員であったころの、自信にあふれた字をかいたのです。
もう受付簿には20人ほどの名前が並んでいましたが、母の字が一番立派に見えました。

最近の母の字はいつも右上がりになり、字の間隔も広かったり狭かったり、
字そのものも大きかったり小さかったりと、たしかに書くのに一苦労といった感じでした。
にもかかわらずその日は、いやその日から、母は名前を書くようになりました。
宅配の受け取りはもともと大好きなのですが、準備しているシャチハタを使わず、
自分の名前を書いて受け取っています。

認知症は良くはならない、だんだん悪くなると医者から言われましたが、
はたしてそうなのかと疑問を持つようになりました。
今の状態が元に戻らないことを祈るばかりです。

戦争だけはごめんバイ

母がニュースを見ながら言う言葉だ。米寿の母がきっぱりと意思表示をする。
戦争を知っている世代は戦争反対の意識は強いと思う。
私は母の言葉を聞いて生きてきた。 しかし、最近の若者はどうだろう?
ジブリ高畑勲監督の言葉(下記)が気にかかる。
------------------------------------------------------------------------------
「空気を読む」と若者が言うでしょう。私はこの言葉を聞いて絶望的な気持ちになります。
私たち日本人は昔と全然変わっていないんじゃないか、と。
周りと協調することは良いことですが、この言葉は協調ではなくて同調を求めるものです。
歩調を合わせることが絶対の価値になっている。(中略)
古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に踏み込んでいったのです。
私はこれを「ズルズル体質」と呼んでいますが、「空気を読む」なんて聞くと、
これからもそうなる危うさを感じずにはいられません。」

2015年7月25日土曜日

母の笑顔は私の救い

私の母は昨年からもの忘れがひどくなり、
昨日のことはもとより、数時間まえのことさえ憶えていなかったりする。
認知症の初期、要介護1と診断された。
なにかと手がかかり、私の日常は母の為に半分近く費やされている。
にもかかわらず、母に救われていると思うことがたびたびある。
若いころの母には感じなかったこの感情は何だろうか・・・。

私は若いころの母に似ているのか、けっこう猜疑心があり邪気の多い毎日だが、
今の母にはそれがない。母を見て微笑むと満面の笑みが還ってくる。
笑顔たいする笑顔だ。そこに救いがある。生きる気力がわいてくる。

母を助けているはずの私が、本当は母に助けられているのかも知れないと思う。

2015年7月24日金曜日

2015年7月18日土曜日

サンキュー。

おかきをお箸でおかしいですか?


ブラックニッカをちびりちびり飲みながら、おかきを食べてます。
手に塩がつくのが厭なのでお箸を使います。
妻は横目で”変な人ね”と言わんばかりに”ふん”と鼻をならします。

そんなにおかしいかなぁ(-_-;)

2015年7月1日水曜日

ミカエラの日常ブログ第5話


早起きなんだぁ (゜.゜) 私の苦手な早起き・・・(-_-;)

いざ仕事へ!

今日はトイレに手すりを取り付ける工事の日だ。
妻が有給をとり家にいるので、私は安心して仕事へ出かけられる。
お昼に帰宅しない一日仕事は半年ぶり?いや1年近くなるかもしれない。
母と家事から解放されて気分爽快だ。今年もいよいよ後半戦。
さぁ行ってくるよと雨上がりの自宅に声をかけた。

2015年6月21日日曜日

父の日のプレゼント


宅配で届いた息子からのプレゼントはビールでした。
そういえばビールがいいって息子に言ったような・・・

2015年6月20日土曜日

夜が来る

今夜も飲みすぎた。最近は酒量が増えている(-_-)
妻から再三注意されるが止まらない(-_-;)

Don don din don shubi da don 夜がくる
Don don din don shubi da don 灯りがつく
あの街 この街 黄昏て 紫色の 夜がくる
心の中にも 灯がともる 地球がまわる 陽が沈む

Don don din don shubi da don 何時の間に
Don don din don shubi da don 時が過ぎる
誰かブルースを 歌っている 何かが 待ってる 夜がくる
Singin' in the dark誘われて月は東に日は西に

Don don din don shubi da don Oh deh… Oh!
on don din don shubi da don Ah din don shubi da don
愁いも 悩みも さようなら

Don don din don shubi da don 夜がくる
Dreamin' in the night 魅せられて
街の谷間に 夜がくる 夜がくる

2015年6月14日日曜日

生垣の剪定


先週の日曜日に生垣の選定をしました。
以前は母がやっていましたが、数年前から私がするようになりました。
母は2時間ほどかけていましたが、私は30分ほどでちゃちゃっと終わらせました。
いかに手軽に見苦しくない程度まで仕上げるかが課題です。

2015年6月5日金曜日

「痴呆老人」は何を見ているか

読み始めたばかりですが読み応えのある本です。
母の為にどうあるべきか見えてきた気がします。
希望の本になるかもしれません。

2015年6月3日水曜日

崖っぷちの隣保組

まぁ、戦前の名残りでもある隣保組だが、この田舎ではまだ機能している。
私が子供の頃は14軒ほどあったが、今は11軒になった。

内80歳以上の高齢者のみの世帯が3軒、50歳~70歳くらいの世帯だが
後継ぎのいないのが4軒、息子娘が結婚せず孫がいないのが1軒、
孫が将来地元に残るか不明なのが2軒、確実に存続すると思われるのは1軒だ。

近い将来、この隣保組はよくて3軒、もしかしたら1軒になる。
もはやそれは隣保組ではない。3軒とも離れているし、間の道は山道になるだろう・・・

2015年6月1日月曜日

今年も咲きました、石垣のユリ


おととしも記事にしましたが、今年も石垣のユリが咲きました。
写真を撮った後、仏壇にお供えしました。→おととしの記事

2015年5月22日金曜日

「父の命日」の続き

火葬して骨を拾うとき、頭蓋骨の内側だけが燃え残ったようにどす黒かった。
火葬場の人によれば、たぶん脳内出血していて、血が溜まっていたのではないかとのことだった。

そういえば亡くなる数年前の雨の日に、帰宅途中の山の斜面の道路から、父は崖下の川の近くまで車ごと滑落したのだった。その頃、まだ道路にはガードレールが無かった。"駆けつけた人たちが、道路から滑落した車を見ながら「車を運転してた人は死んでるよね」と話しているのを聞いたが、それが近くにいる私(父)だと誰も気がつかなかった"と父は母に話したらしい。

父はぐしゃぐしゃになった車から這い出し、崖をよじのぼって、道路で話している人たちの会話を聞いた、という母の説明を、以前はなにげなく聞いていたが、考えてみれば不可解な話だ。崖はかなりの高さで、車をクレーンで吊り上げるような事故だったのだから。私はふと、父が臨死体験をしたのではないかと思った。

なぜなら、それからの父の行動は、明らかに以前とは違っていたから。内容は前回書いた通りだが、その時、父は死期を悟ったのかもしれない。

父が亡くなった後、母は時々”一度は死んだ人だから”とか”おまけの命だったから”と話した。 何とも不可解だが、今となっては母から詳しい状況を聴くことはできない。

2015年4月22日水曜日

2015年4月17日金曜日

夜曲

義父(93歳)が肺炎で緊急入院、妻は職場からそのまま病院へ直行。
私は仕事を早めに切り上げて弁当を買って帰る。
途中、なんど電話しても自宅につながらない。
やはり母(88歳)は外に出て、ずっと私の帰りを待っていた。
慌ただしい夜。今日中に妻は帰宅できるだろうか・・・
仕事も家庭も走り回る毎日。最近、私も涙もろくなって、すぐに泣いてしまう。

長い長い旅の果てに 僕はこの岸辺にやってきた
何処に向かい流れてるの? 目の前の河よ

向かう場所も見失って なのに何故僕は生きてるの?
問いかけてもこの景色は 何も答えない

消えはしないあの日の痛み 今も聞こえる君の言葉が

泣いて泣いて泣いて どうして人は思いが溢れ出るの?
生きるものすべての涙の雨が やがて河になり 大地を今日も流れてる

ひとつひとつ輝きだす 茜色の空の星達
遥か遠く故郷には 今も僕がいる

永遠など誰も求めず 短すぎる生命を生きてる

泣いて泣いて泣いて どうして人はこんなに弱いのだろう?
すべての哀しみや歓び達が やがて河になり 世界を今日も流れてる

夜へ還る海鳥達よ 僕の孤独も運んでおくれ

泣いて泣いて泣いて どうして人は思いが溢れ出るの?
生きるものすべての涙の雨が やがて河になり 大地を今日も流れてる

ツツジの春


ツツジが咲いて庭もにぎやかになってきました。

2015年3月7日土曜日

傘も日光浴


最近は曇ったり小雨が降ったりの天気が多く、傘を乾かす時間がなかなかとれませんでした。
先日はひさびさに上天気で、洗濯物を干した後、傘も乾かしました。なかなかカラフルです。

2015年2月24日火曜日

あなたに恋をしてみました


フジテレビ「デート ~恋とはどんなものかしら~ 」の主題歌です。
別に歌が上手とは思いませんが、小泉今日子みたいに、なぜか耳に残ります。

2015年2月16日月曜日

「だいじょうぶ認知症」

無駄のないシンプルな文章ですが、わかりやすく説得力があります。
知っておくべき事の要点をきちんとまとめてあります。買って良かったと思いました。

2015年2月6日金曜日

痴呆を生きるということ

痴呆を生きるということ (岩波新書)
10年ほど前に初めてこの本を手にとった時、 眼から鱗が落ちるよう気がしました。
今でも読むたびに、はっとさせられることがあります。
この本のおかげで、母の症状にもある程度の知識をもって臨むことができました。
それでも毎日あたふたしています(汗)

母の誕生日


1月30日は母の誕生日でした。写真は兄から贈られた蘭の花です。
母の認知症による行動も、だんだん理解できるようになり、少し落ちついてきました。

2015年1月26日月曜日

父の命日

3月12日は父の命日だ。なぜか1月も終わり近くなると思いだす。もうかれこれ37年になる。

3月というのにとても寒い日だった。父は心筋梗塞であっけなく亡くなった。 51歳だった。父のやすらかな死に顔と硬直した脚、みるみる真っ白くなった母の髪。 私は葬儀が終わるまで泣いてばかりいた。泣き虫だと自分でも思った。 でも、私以上に母はずっと泣いていた。こんな泣き虫だったのか、あの気丈な母がと思った。

思い返すと不思議なことばかりだった。亡くなる1年ほど前、父が「熊本に戻ってきてくれ」と言った。 「お前の好きなところで、好きな仕事をするといい」とそれまで言われていたから、びっくりした。 私はまだ大学生で横浜にいたし、先輩はほとんど東京や横浜で就職していた。 面食らったが、父の一生懸命の説得で、熊本で就職することにした。それから父のめまぐるしい引継ぎが始まった。 先祖から受け継いだものを全部見せて、管理の仕方を教えてくれた。田畑山林をひとつひとつ一緒に見て回った。 頼りにしていた伯父伯母に「こいつを後継ぎにしますので、よろしくお願いします」と私を連れて挨拶にでかけた。 なんでそこまでと不思議だった。

「生きとるもんが優先たい」と言って、神仏にこだわらなかった父が、 その頃から、神棚や仏壇、先祖の遺影に手を合わせるようになった。 「どうしたの?」って聞くと、「なんか、ちこらしい気がしてな」と言った。 まさかそれから1年足らずで父が急逝するなど、その時は思いもよらなかったが、 後から思えば、自分の死期を悟ったかのような行動に驚かずにはいられない。

父が亡くなった後、何も知らない親戚から「なんで末っ子のおまえが後継ぎなんだ」と言われた時には、 はらわたが煮えくりかえったが、伯父から 「何も言わん方がいい。黙ってお父さんから頼まれたことをしなさい。」と諭されてがまんした。

父から頼まれた事はいろいろあったが、つまるところ”お母さんを頼む””お墓を頼む” ということではなかったかと思う。何としても父との約束は果たさねばならない。 37年は長かった。でも、あっという間に過ぎ去った。もしかしたら、これからが正念場かもしれない。

2015年1月19日月曜日

1月の庭


昨日の庭の風景です。芝生が黄色くなって、苔に負けています。
朝は水道が凍結するほど冷え込みましたが、昼間はわりと穏やかでした。
近所では久々に家の新築が始まっています。明日は大寒です。

2015年1月15日木曜日

在宅介護のお客様を訪問しました

「ご主人が脳梗塞で倒れ介護状態になりましたが生命保険金がおりませんでした。」
「退院したら医療保険ももらえなくなりました。」
「何もかも主人まかせだったので、何をどうしていいかわかりません。」
「今日は主人をお風呂にいれなくては。介護に追われる毎日で・・・」

損害保険の手続きでお伺いした時、奥さまから出てくる言葉は
生命保険、医療保険についての嘆きのような言葉ばかり。
生命保険や医療保険は別の生命保険会社の外務員さんが担当だが
しっかりやってくれているそうだ。
要はその保険会社の商品が時代の変化に十分対応できていないのだと思う。
商品の定期的見直しでは、時代に対応した商品に切り替えていくことも検討が必要だ。

お客様は介護に追われて考える毎日で、保障の内容をしっかり検討したいが余裕がない。
私たちがお電話したりお伺いしている時間だけが、内容見直しの貴重な時間だ。
近頃はお客様から"よろしくお願いします"とお願いされることが多くなった。
お客様の事情を知る私たちだからこそできる提案というものがあると思う。(前田)

2015年1月5日月曜日

故郷の坂道


バス停からまっすぐのびる坂道。幾度となく、母に手を引かれてのぼった幼い頃。
背の高かった母が、小さくなって私に手を引かれている。
あっと言う間に過ぎ去った歳月。あとどのくらい母と手をつなぐことができるのだろう・・・

2015年1月2日金曜日

ヘルプマン 1

現場にくわしい人の作品のようなので購入しました。[12/30]
合い間合い間に読んでいます。知ってることも多いですが、
なるほどと考えさせられる所もあり役に立ちます。そして案外面白いです^^; [1/2]