安倍晋三首相は1日、官邸で開いた政府の新型コロナウイルス感染症対策本部会合で、
政府が布製マスク計約1億枚を購入し、全世帯に2枚ずつ配布する方針を示した。(産経新聞)
「現金1万2000円以上!」
「10万!」
「現金2万! 5万もあり。」
「和牛商品券!」
「魚介商品券!」
本日
「マスク2枚に決定した」(レイ❤️・ 2020.4.1)
この「ゴールド!」というドラマ、すごく興味ある。
吉行和子も好きだし、老いと介護の問題は、最も関心のあるテーマだ。
母の介護で、その大変さは身に染みている。
今後は私自身の問題として捉えて考えていかねばならない。
今の借家に持ってきたバッグ類も
いくつかありますが、書類などが、
ぎっしり詰まっています。
ほとんどは領収書とか診察券とか、
郵便物やメモなどですが、
中身を見ずに捨てるわけにもいかず、
確認して廃棄しています。
いつも手許に置いて離さなかったバッグの中に、
父の写真がビニール袋に入れてありました。
亡くなってからずっと持っていたのかボロボロですが、
いつも父が母のそばにいたんだなと思いました。
父と母は特別に仲が良かったとか、
そういうことはなくて、よくケンカをしていました。
父は短気で癇癪持ちだったし、母はわりと強情でした。
母に向かって、もっと素直に人の話を聞け!とか、
父は怒鳴ってましたね。母は無視して、父が逆上。
恐かったですねぇ・・・(゚A゚;)
でも、父が亡くなると1年ほど、いやもっとかな、
母の表情から笑顔が消えました。暗かったですし、
写真を見ると、どれも悲しい目をしています。
父の存在はこれほど大きかったのかと改めて思いました。
Amazonのネックは配達だね、安心できるのはクロネコかな、やっぱ。
事前に配送業者がどこか分かれば対応できるんだけど・・・
けんかして妻が実家に帰るのは初めてではありません。
今回も翌日「ただいま」と言って帰ってきました。
「お帰り」と私が言えば、今までと同じ生活が始まります。
でも、今回は「帰れ!」と怒鳴って追い返してしまいました。
本来ならば義母の介護の中心となるべき義兄夫婦の
妻(妹)の介護支援依頼に対する冷淡な対応に怒りが収まらず、
いつのまにか妻に対しても、お前がお人よしだから、と責めていました。
義兄は、義母は周囲に甘えがちだからほうっておけばよいと突き放し
義兄との同居を望む義母の(自宅マンションへの)引き取りを拒絶しました。
(義母は既に90歳です。甘えとかそういうレベルで判断する時期は過ぎています)
さらに、義母の不足する生活費(月2万円ほど)の負担も即座に拒絶しました。
(義兄は元官僚です。お金がないはずはない、と妻は言います。)
結局、何もする気はないということか !
私の怒りは頂点に達していました。
義兄夫婦は県外在住( 神奈川 )を盾に逃げの一手。
こっちは実母の介護で手一杯なのに、義母の世話までさせておいて、
手を差し伸べようともしない妻の兄夫婦。彼らに対する怒りが妻へ向かっていました。
ただ、一方で冷静な判断も働いていました。
妻も二人の母親の対応で疲れ切っていました。
そのためか、キツイ口調をするようになっていました。
それが私の怒りを呼び、私も妻に怒鳴ったりすることが多くなっていました。
お互いイライラしながら生活していては夫婦げんかが絶えなくなる。
そうすれは、本当に仲たがいすることになりかねない。
ここは、顔を合わせない時間が必要だと、心のどこかで思っていました。
老人ホームから自宅に帰りたがっている義母。
でも、1人で暮らすのは無理な健康状態。たまたま夫婦げんかで実家に帰った妻。
冷静に考えれば、義母と妻が同居するのが一番合理的に思えたのです。
しかしそこには(妻に出て行かれた私に)仕事をしながら実母を1人で介護するという、
さらなる負担が待っていました。
平均睡眠時間5時間余り。(現在は6時間くらいとれるようになりました)
夏場にお風呂に入る時間もとれず、タオルで汗を拭く毎日。
妻が夕食を作りに来るようになり、少し落ち着きましたが、
仕事に回せる時間は激減しました。収入も当然下がってきます。
ただ幸いなことに、夫婦げんかはほとんどなくなりました。
この先どうなるのか、まったく見通せませんが、
この判断が間違いでなかったことを祈るのみです。
それから、以前にも増して、興味のあるテレビ番組は食い入るように見るようになりました。
朝ドラは好きです。天気予報にはとても関心があります。
意外ですが、ゴルフ番組も好きです。グリーンを転がる白いボールをじ~っと見ています。
ホールにうまく入ると「入った!」と喜びます。
しかし、テレビを見ながら食事をする時は要注意で、先日も味噌汁をひっくり返しました。
私は、”はは~ん”と思うのです。私の子供の頃にそっくりじゃないか!
私の小さい頃はぼんやりしてることが多くて、
なにボーっとしてるんだ?と両親や兄たちからよく言われました。
ボーっとしてるんじゃないんです!空想の世界でいろんなことをやってるんです。
いろんなところを飛び回ってるんだけれど、頭の中だから周囲の人にはわかりませんよね。
テレビもそう。
「ほら~、お口とお箸をちゃんと動かして食べなさい!」ってよく母から注意されたものです。
あ~ぁ、逆になっちゃったなぁ・・・と思うのです。
子供に帰る、いいじゃないか、それも人生だ、と思うようになりました。
たったこれだけの家で、2つの神社の例祭や、
お地蔵さん、お薬師さん、観音さんのお祭りをし、
神社総代、寺総代を出してゆかねばならない。
もちろん毎年、町内活動にも代表を出さないといけない。
5軒の空家(1軒は自宅 (-"-) )の内1軒は今年解体されたが、
荒れる屋敷は、ご近所としても悩ましい問題となっている。
だが思う、思いたい。夜明け前がもっとも暗いんだと。
いずれまた、陽の当たる時が来る。それまであきらめずに頑張ろう。
*我が家は都合で引っ越していますが、自宅は住める状態で維持しています。
仕事は、保険代理店の大型化の波で合併を迫られており、
独立を保てるか苦しいところ。
健康状態は問題ないと思いはするものの、
特定検診で大腸検査をするように言われて、
催促の郵便物がきてるけど、まだ行く時間がつくれていない。
一部損壊したお墓の修理が気になるけど、
これは来年回し。致し方ない。
まぁ、ざっとこんな感じです。
バタバタと慌ただしさは相変わらず。
なんとか無事に年末を乗り切らないと・・・
もしかしたら、昔はノイローゼと言われていたものかな?
そのまた昔は神経質と言われて終わりだったりして・・・
男性より女性が倍ぐらい多いとか、女性は心配性というか、体の構造がそうなってるのかな・・
病院には10代から90代まで年齢はさまざま、男性は40代~50代が多いみたい。
やっぱり仕事も家庭も責任が重くのしかかる年代だからねぇ・・・
そして個人的には父の命日です。亡くなってから39年が流れました。
やはり、長かったような短かったような・・・
そういえば、昨日は午後2時46分からサイレンが鳴りました。
近所の工事の騒音も消えてしずかになりました。
みんな黙祷したんだね、私も事務所で黙祷しました。
そして、来月は熊本地震から1年になります。
私の車には、トイレクリーナー・アルコールティッシュ・マスク1箱・ごみ箱は常備しています。
時として、母連れ営業にも出かけますが、母が外でトイレとか利用することもあるからです。
まだ、おむつとか使う状況でないのは幸いです。
後部座席の窓ガラスはセピア色なので、外からはよく見えないのも好都合です。
また、トランクにはノコギリ・剪定挟み大小3個・鎌・軍手・ビニール手袋なども入れています。
自宅近くを通った時に、ほんの短い時間でも、荒れた屋敷の手入れをする為です。
いろいろこまごまの工夫と努力以外には手はありませんが、やれることはすべてやるつもりです。
勉強やスポーツや仕事は基本的には本人の能力や努力に応じて結果が伴うと思います。
まぁ最近はそうでもないようなことが増えてきているように感じてはいますが・・・
ですが、人との出会いや家族の健康・安全とかになると自助努力などほとんど無力です。
もちろんいろいろ工夫や気配りとかはしますが、あとはただ祈るしかないのが人間だと、
悲しいほどに無力なんだと思うのです。
他力本願というのは阿弥陀様の本願(誓願)ということで、
個人的にはキリストの十字架に近いイメージを持ちますが、
天の意志というか采配というか、そういうものを肯定して(信じて)、
心で受け止めて、心が感じた方向で一生懸命頑張る、
というのが本来の自助努力ではないかと思うのです。
”天は自ら助くる者を助く”とはそういう意味だと私は思います。
精一杯やったからあとはよろしくと天にお任せするのは本末転倒ではないかと。
いろいろ思うことはありますが、時間がないので今日はこの辺で。
妻はお盆で実家へ帰り、今日は午後から母と二人です。
母は早々と寝てしまうので(ときどきトイレ起きしますが)、
私だけの静かな夜になりました。
(ツイッターより転記)
⇒ 関連する過去の投稿「夜が来る 2」