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2020年4月1日水曜日

エイプリルフール?

・ 2020.4.1)

安倍晋三首相は1日、官邸で開いた政府の新型コロナウイルス感染症対策本部会合で、

政府が布製マスク計約1億枚を購入し、全世帯に2枚ずつ配布する方針を示した。(産経新聞)

「現金1万2000円以上!」

「10万!」

「現金2万! 5万もあり。」

「和牛商品券!」

「魚介商品券!」

本日
「マスク2枚に決定した」(レイ❤️・ 2020.4.1)

2020年3月19日木曜日

かっこいいね!藤竜也

私も藤竜也みたいに、かっこよく年をとりたいが、
まぁ無理だな・・・(-"-)

この「ゴールド!」というドラマ、すごく興味ある。
吉行和子も好きだし、老いと介護の問題は、最も関心のあるテーマだ。

母の介護で、その大変さは身に染みている。
今後は私自身の問題として捉えて考えていかねばならない。

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2019年12月15日日曜日

父の写真

母の遺品整理をすこしずつしています。
父は婿養子で、母は家付き娘でしたので、
子供の頃からの持ち物もたくさんあって、
遺品は半端ないくらいの量になります。
ひとつひとつ確認しながらの作業なので、
たぶん1年くらい、もしかしたら、
もっとかかるかもしれません。
(家計簿だけでも山のようにあります)

今の借家に持ってきたバッグ類も
いくつかありますが、書類などが、
ぎっしり詰まっています。
ほとんどは領収書とか診察券とか、
郵便物やメモなどですが、
中身を見ずに捨てるわけにもいかず、
確認して廃棄しています。

いつも手許に置いて離さなかったバッグの中に、
父の写真がビニール袋に入れてありました。
亡くなってからずっと持っていたのかボロボロですが、
いつも父が母のそばにいたんだなと思いました。

父と母は特別に仲が良かったとか、
そういうことはなくて、よくケンカをしていました。
父は短気で癇癪持ちだったし、母はわりと強情でした。
母に向かって、もっと素直に人の話を聞け!とか、
父は怒鳴ってましたね。母は無視して、父が逆上。
恐かったですねぇ・・・(゚A゚;)

でも、父が亡くなると1年ほど、いやもっとかな、
母の表情から笑顔が消えました。暗かったですし、
写真を見ると、どれも悲しい目をしています。
父の存在はこれほど大きかったのかと改めて思いました。

2019年11月9日土曜日

使えないよ、Amazon便!

Amazon便って、要は中小の業者を使って配達しますって
いうことらしいけど、配達時間守らないし、ほんと使えない。

Amazonのネックは配達だね、安心できるのはクロネコかな、やっぱ。
事前に配送業者がどこか分かれば対応できるんだけど・・・

2019年8月21日水曜日

別居という選択

妻とは別居しています。かれこれ1か月近くなります。
仲たがいしたとか、そういうことではありません。
きっかけは夫婦げんかではありましたが(汗)

けんかして妻が実家に帰るのは初めてではありません。
今回も翌日「ただいま」と言って帰ってきました。
「お帰り」と私が言えば、今までと同じ生活が始まります。
でも、今回は「帰れ!」と怒鳴って追い返してしまいました。

本来ならば義母の介護の中心となるべき義兄夫婦の
妻(妹)の介護支援依頼に対する冷淡な対応に怒りが収まらず、
いつのまにか妻に対しても、お前がお人よしだから、と責めていました。

義兄は、義母は周囲に甘えがちだからほうっておけばよいと突き放し
義兄との同居を望む義母の(自宅マンションへの)引き取りを拒絶しました。
(義母は既に90歳です。甘えとかそういうレベルで判断する時期は過ぎています)

さらに、義母の不足する生活費(月2万円ほど)の負担も即座に拒絶しました。
(義兄は元官僚です。お金がないはずはない、と妻は言います。)
結局、何もする気はないということか !
私の怒りは頂点に達していました。

義兄夫婦は県外在住( 神奈川 )を盾に逃げの一手。
こっちは実母の介護で手一杯なのに、義母の世話までさせておいて、
手を差し伸べようともしない妻の兄夫婦。彼らに対する怒りが妻へ向かっていました。

ただ、一方で冷静な判断も働いていました。
妻も二人の母親の対応で疲れ切っていました。
そのためか、キツイ口調をするようになっていました。
それが私の怒りを呼び、私も妻に怒鳴ったりすることが多くなっていました。
お互いイライラしながら生活していては夫婦げんかが絶えなくなる。
そうすれは、本当に仲たがいすることになりかねない。
ここは、顔を合わせない時間が必要だと、心のどこかで思っていました。

老人ホームから自宅に帰りたがっている義母。
でも、1人で暮らすのは無理な健康状態。たまたま夫婦げんかで実家に帰った妻。
冷静に考えれば、義母と妻が同居するのが一番合理的に思えたのです。
しかしそこには(妻に出て行かれた私に)仕事をしながら実母を1人で介護するという、
さらなる負担が待っていました。

平均睡眠時間5時間余り。(現在は6時間くらいとれるようになりました)
夏場にお風呂に入る時間もとれず、タオルで汗を拭く毎日。
妻が夕食を作りに来るようになり、少し落ち着きましたが、
仕事に回せる時間は激減しました。収入も当然下がってきます。
ただ幸いなことに、夫婦げんかはほとんどなくなりました。

この先どうなるのか、まったく見通せませんが、
この判断が間違いでなかったことを祈るのみです。

2019年8月16日金曜日

最近、ボーっと立っています

梅雨明け頃から、ドアノブや手すりなどにつかまって、ボーっとしていることが多くなりました。
どうしていいか分からないという風情で、ず~っと立っています。
「トイレ?」と聞くと、「トイレに行ってくる」と言って歩き出します。
妻は「変よ変よ、認知症がすすんだのかなぁ」と言います。

それから、以前にも増して、興味のあるテレビ番組は食い入るように見るようになりました。
朝ドラは好きです。天気予報にはとても関心があります。
意外ですが、ゴルフ番組も好きです。グリーンを転がる白いボールをじ~っと見ています。
ホールにうまく入ると「入った!」と喜びます。
しかし、テレビを見ながら食事をする時は要注意で、先日も味噌汁をひっくり返しました。

私は、”はは~ん”と思うのです。私の子供の頃にそっくりじゃないか!
私の小さい頃はぼんやりしてることが多くて、
なにボーっとしてるんだ?と両親や兄たちからよく言われました。
ボーっとしてるんじゃないんです!空想の世界でいろんなことをやってるんです。
いろんなところを飛び回ってるんだけれど、頭の中だから周囲の人にはわかりませんよね。

テレビもそう。
「ほら~、お口とお箸をちゃんと動かして食べなさい!」ってよく母から注意されたものです。
あ~ぁ、逆になっちゃったなぁ・・・と思うのです。
子供に帰る、いいじゃないか、それも人生だ、と思うようになりました。

2019年3月16日土曜日

お墓のお墓

我が家もお墓が今の場所でいいのか思案中。
都市部の墓地や納骨堂に移した場合、
墓石は石屋さんに撤去を依頼することになる。
まだ先の話だけれど、複雑な気持ち・・・

2019年2月10日日曜日

生まれた時を知らず、死ぬ時も知らず

ある本に「私たちは生まれた時のことを知らない、気が付いた時には生まれている」
というようなことが書かれていました。びっくりしました。
毎年毎年誕生日が来て、お祝いをしてもらったりして、生まれたときのことは知っている気分になっていましたが、本当は何にも知らなくて、”気が付いたら生まれていた”ということに初めて気が付きました。

昨年、大腸カメラを受けた時に、看護師さんの「麻酔しますよ~」という声が聞こえて、
ちょっとぼんやりしてきたものの、なかなか眠らないで、看護師さんの話す声ばかり聞こえるので、いつになったら検査が始まるのだろうと思っていたところ、
「はい、もうだいぶ眠られたからいいでしょう」と声をまたかけられて、
えっ?何言ってるのかなと思ったら、検査はすでに終わっていて、
30分ほど寝かされていたのでした。
死ぬ時ってこんな感じかもしれないなと思いましたし、
死にかかっているとは思っても、死ぬ瞬間はわからないんだと思います。

畜生や、鳥や魚より人間が上等だと思っていましたが、今という時をひたすら生きている点では変わらないと思います。
この命の背後に何があるのかわからないけれど、はっきりしているのは、今生きているということだけです。過去の記憶はどうもあやしいし、未来のことはわかりません。
はっきりしているのは、今生きているということだけだと、あらためて思いました。

2017年11月26日日曜日

隣保組は崩壊の危機

山本校区のご近所13軒で構成する隣保組(葬式組)は崩壊寸前だ。
現在居住しているのは8軒となった。
そのうち1軒はおばあちゃんの1人暮らし。
跡取りが確保されているのは4軒のみになってしまった。

たったこれだけの家で、2つの神社の例祭や、
お地蔵さん、お薬師さん、観音さんのお祭りをし、
神社総代、寺総代を出してゆかねばならない。
もちろん毎年、町内活動にも代表を出さないといけない。

5軒の空家(1軒は自宅 (-"-) )の内1軒は今年解体されたが、
荒れる屋敷は、ご近所としても悩ましい問題となっている。

だが思う、思いたい。夜明け前がもっとも暗いんだと。
いずれまた、陽の当たる時が来る。それまであきらめずに頑張ろう。

*我が家は都合で引っ越していますが、自宅は住める状態で維持しています。

2017年11月2日木曜日

引っ越して2年になりました

明後日は息子の彼女の親と顔合わせ。来年挙式の予定。
義母は入院中で退院は師走になる見込み。
主治医から、退院しても一人暮らしは無理と言われている。
どうしたものか・・・
母は週3回デイケアに通っています。

仕事は、保険代理店の大型化の波で合併を迫られており、
独立を保てるか苦しいところ。
健康状態は問題ないと思いはするものの、
特定検診で大腸検査をするように言われて、
催促の郵便物がきてるけど、まだ行く時間がつくれていない。
一部損壊したお墓の修理が気になるけど、
これは来年回し。致し方ない。

まぁ、ざっとこんな感じです。
バタバタと慌ただしさは相変わらず。
なんとか無事に年末を乗り切らないと・・・

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2017年9月30日土曜日

義母が全般性不安障害になりました

なんでもこの病気、女性の20人に1人はかかる、 わりと一般的な病気とのこと。
昔は不安神経症という病名でした。それが急性のパニック障害と全般性不安障害に分けられた。
要するに急になったわけではないから、いつこの病気になりましたか?と聞かれても、
よく分からないのが全般性ということらしい。

もしかしたら、昔はノイローゼと言われていたものかな?
そのまた昔は神経質と言われて終わりだったりして・・・
男性より女性が倍ぐらい多いとか、女性は心配性というか、体の構造がそうなってるのかな・・
病院には10代から90代まで年齢はさまざま、男性は40代~50代が多いみたい。
やっぱり仕事も家庭も責任が重くのしかかる年代だからねぇ・・・

2017年7月29日土曜日

ルーラルまえだはまだ生きてます!

ただひたすら目の前の事に追われる毎日で、ブログもすいぶんご無沙汰しています。

今日はデイサービスに行こうとしない母を、なだめすかして自分の車で施設へ送りとどけ、そのまま八代、人吉へ。くらくらするような猛暑。よく無事に帰宅したと思うくらい疲れました。ドリンク一本でなんとか気力をつないでいます。

2017年3月12日日曜日

今日は何の日?3月12日

九州新幹線開業です。あれから6年、長かったような短かったような・・・
東日本大震災の翌日だったし、お祝いもなし・・・

そして個人的には父の命日です。亡くなってから39年が流れました。
やはり、長かったような短かったような・・・

そういえば、昨日は午後2時46分からサイレンが鳴りました。
近所の工事の騒音も消えてしずかになりました。
みんな黙祷したんだね、私も事務所で黙祷しました。

そして、来月は熊本地震から1年になります。

2017年1月9日月曜日

負の遺産 2

借り手も買い手も見つからぬ荒れた農地をどうしたものか、悩みは尽きない。
税金に草刈代、その他維持管理費用は将来にわたって続く。
年払いで払い続けた農地整備費用分担金三百万円余りはいったい何の為だったのか。

昨年からは地震で壊れたお墓をどうするかという問題も増えた。
傾いた仏石がいくつもあり、草取りも注意しないと下敷きになりかねない。
修復や移転となれば百万円では済まないだろうし・・・

骨壺を置いてある空洞に雨水が入らないように、
黒いガムテープを張ったので当座はしのげるが、
いずれはきちんとしなければならない。しかし現状では資金準備は困難だ。

親の介護だけでもかなりの負担なのに、なぜこうも次々と難題がふりかかるのだろう (;-_-;)

2016年12月27日火曜日

負の遺産

空き家になっている自宅近くの農地の草刈り代を払ってくれと農地管理組合から言ってきた。
田舎の田畑は地区ごとに維持管理しておかないと国からの補助金がもらえない。
作り手がみつからず耕作放棄していても、草刈だけはしないと周囲の農家には迷惑がかかる。

「払え」ではないけれど「払ってほしい」というもの。
引っ越して住んではいないけれど、いやだとは言えない (-_-;)

小さな畑の残地がある別な組合からも言ってくる。
毎年約1万円は草刈代を用意しなければならなくなっている。

今年は地震があって田んぼの法面(ノリメン)にヒビが入り、修復費用の分担金5千円も請求された。
来年も請求するそうだ (>_<)
なんというか踏んだり蹴ったりされてるような・・・(+_+)

2016年12月26日月曜日

多重介護の戦い方

昨年、住める状態の自宅を残したまま、義父母の家の近くに戸建を借りました。
その後、1年もたたぬうちに、義父が肺炎で他界しました。
私たち夫婦は引き続き、それぞれの老母の介護に直面していて、
先の見えない戦いはまだ始まったばかりです。

私の車には、トイレクリーナー・アルコールティッシュ・マスク1箱・ごみ箱は常備しています。
時として、母連れ営業にも出かけますが、母が外でトイレとか利用することもあるからです。
まだ、おむつとか使う状況でないのは幸いです。
後部座席の窓ガラスはセピア色なので、外からはよく見えないのも好都合です。
また、トランクにはノコギリ・剪定挟み大小3個・鎌・軍手・ビニール手袋なども入れています。
自宅近くを通った時に、ほんの短い時間でも、荒れた屋敷の手入れをする為です。
いろいろこまごまの工夫と努力以外には手はありませんが、やれることはすべてやるつもりです。


2016年11月17日木曜日

百尺竿頭進一歩

今までに私が学んだ最も重要なことは、
この世に現実などほんとうは存在しないということです。
私たちが現実として見ているものはすべて、
私たちがそれをどうとるかという認識の問題だとわかったのです。
人生をどのように認識しているか、
その認識のしかたこそがすべてなのです。
いいかえれば、
私たちの人生は私たちの見ている世界そのものによって決まるのではなく、
自分がどのように世界を見ているかによって決まるのです。
だからこそ、
前向きで実り多き人生は、
私たち個人一人ひとりの生き方にかかっているのです。
自分こそが自分の人生の実現者なのです。
また自分こそが自分の先生なのです。
あなた自身が神であることに気づいてください。
あなた自身が愛です。
あなた自身が光なのです。
そして私たちの自由意思こそが、
自分の内なる神のすべてを発見していく、
”学びの道”なのです。  (シャーリー・マクレーン)

2016年11月1日火曜日

引っ越して1年になりました

昨年11月に引っ越してからちょうど1年が経過しました。
あまりにいろいろありすぎて、何から書けばいいのか迷うくらいです。

引っ越して最初の冬は過去に例のない寒さでした。
-5℃は生まれて初めての経験で、 実家はお風呂もトイレも凍り付きました。

そして4月の熊本地震。私はもちろん、多くのお客様が被災されました。
いまだに災害死亡認定で、地震による死亡者数は増え続けています。
当時から、あふれんばかりの病院の患者さんを見ていた妻は、
テレビのニュースを見て、「一桁違う、もっともっと大変なんだ」と言っていました。
そして過去に経験のない猛暑。そんな中、義父は肺炎で入院し亡くなりました。

地震と葬儀でほったらかしだった実家の庭は荒れ放題。
草が生い茂り荒れ野原のようになりました。

いよいよ私たち夫婦2人で2人の母親の世話をする"介護戦争"に突入しました。
今後どうなっていくのか、末恐ろしい気がしています。

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2016年9月26日月曜日

自助努力と他力本願

 基本的には自分が頑張るしかないのが世の中なんだと思いますが、
人生には自分の努力や能力ではどうにもならないことがたくさんある、
とういうか、ほとんどがそうではないかと感じ始めて以来、
浄土真宗の他力本願が身にしみるようになっています。

 勉強やスポーツや仕事は基本的には本人の能力や努力に応じて結果が伴うと思います。
まぁ最近はそうでもないようなことが増えてきているように感じてはいますが・・・
ですが、人との出会いや家族の健康・安全とかになると自助努力などほとんど無力です。
もちろんいろいろ工夫や気配りとかはしますが、あとはただ祈るしかないのが人間だと、
悲しいほどに無力なんだと思うのです。

 他力本願というのは阿弥陀様の本願(誓願)ということで、
個人的にはキリストの十字架に近いイメージを持ちますが、
天の意志というか采配というか、そういうものを肯定して(信じて)、
心で受け止めて、心が感じた方向で一生懸命頑張る、
というのが本来の自助努力ではないかと思うのです。
”天は自ら助くる者を助く”とはそういう意味だと私は思います。
精一杯やったからあとはよろしくと天にお任せするのは本末転倒ではないかと。

いろいろ思うことはありますが、時間がないので今日はこの辺で。

2016年8月13日土曜日

夜が来る 3

妻はお盆で実家へ帰り、今日は午後から母と二人です。
母は早々と寝てしまうので(ときどきトイレ起きしますが)、
私だけの静かな夜になりました。
(ツイッターより転記)
⇒ 関連する過去の投稿「夜が来る 2」